戦略Y



国の為というのは、観念ではありません。現実の話です。
学園紛争時代に育った世代は、愛国心というとすぐに右翼だと決めつける傾向があります。
しかし、愛国心というのは、理屈ではなく。感情の問題です。
母が子を慈しみ、子が母を慕うというような自然の情です。
そして、人々の暮らしも、現実の問題です。
国民が生きていく為には、衣食住に必要な資源を確保しなければならないのです。
政治も、経済も絵空事ではありません。
良識ある諸国を信じて非武装中立を貫けば、平和が保てると言った正論を言えば、日本を取り囲む状況が、治まるものならば戦略は必要ないでしょう。しかし、今時、子供だってそんなことは信じていません。黙っていれば、何もしなければ、日本の領土は侵され、或いは、攻撃される。それが現実です。
戦後日本は、平和で豊かだったと言うだけです。しかし、これからも平和で豊かでいられるという保障は何処にもないのです。戦後なぜ日本が平和でいられたかその背景を分析せずに、平和である事を自明であるかの如く考えているとしたらお人好しと言われても仕方がないと思います。
我々の責務は、誰がなんと言おうとも、平和で豊かな国であり続ける様にする。少なくとも国民が飢餓や貧困で苦しむことのないような、また、子孫が路頭に迷うことのないようにすることです。
平和で豊かなこの国は、我々の手で護るしかないのです。
そのためには国がしっかりしなければならない。

戦略とは自分の要求や意志を相手に開け入れさせるための方策です。軍事戦略は、軍事力によって自国の意志や要求を相手国に受け入れさせるための計略を言い、経営戦略とは、自社の利益を実現するために、取引先や顧客に自社の要求を受け入れさせるための方策である。軍事戦略には、勝敗がつきものであり、ウィンウィンの関係にはなりにくいものです。その点が軍事戦略の特徴であり、軍人は勝敗にこだわるものなのです。

戦略とは、戦うための計略です。戦うという事は、必ず何らかの相手、敵がいます。
その敵を見極める事が重要なのです。敵というのは必ずしも国家とは限れません。そこが問題なのです。例えば、災害とか、テロや情報と言った目に見えない敵もいるのです。

戦略は観念ではありません。現実です。
故に、思想や哲学に振り回される事なく、戦略は、事実の上に立脚する必要があります。
戦略上の定義は要件定義を原則とします。その要件の依拠するところは憲法であり、国法です。

戦略は、自国の主体性を護ることから始まります。主体性とは、主権であり、独立です。
自国が依って立つべき事や物を主権者が自分の意志で選択し定めることこそ戦略が実行力を持つか持たないかの証です。
自国が依って立つべき事や物を主権者が自らの意志で選択し、定めることができなければ、戦略の持つ意義はありません。その時点で主権と独立は喪失しているからです。
この点を明確に自覚しておく必要があります。

そして、国民国家の主権者は、国民です。日本の戦略は、日本の国民が何を護ろうとしているのかを明確にし、それを護ろうとする意志にかかっているのです。

国家にも心があり、国家も心の病になる事があるように思えます。
その心の病が戦争や内乱の病巣となるのです。

国家にも理性や感情があります。
国家を動かすのは、理性より感情である場合の方が多い。

国家を揺り動かし、革命や革新を引き起こし、或いは、戦争に導くのは、国民感情です。
だからこそ、多くの政治家は、国民感情に訴えるのです。

国家の主体性は、国家の独立と主権によって保障されているのです。

過去の記憶や国家間の関係によって国家の主権が傷つけられ、
それが国家の心の有り様を歪めているのです。

その歪みによって国家が国家としての独立や主権が危うくなり、国民感情が激高した時、
国家は制御ができなくなるのです。
そして、それは内乱や革命、戦争を引き起こす原因となります。
それは国家が均衡を失うことに依ります。

我々は、国家の心の声に耳を傾け。
国民の心の均衡を保つように努める必要がのです。

戦略を立てる場合、三つの原則があります。
第一に、戦略というのは、国家目的を実現するための手段にすぎません。戦略そのものが目的ではありませんし、また、戦略そのものを目的としてはなりません。戦略そのものを国家目的とする事は、軍人目的を国家目的に置き換える事を意味し、それは、軍国主義化を意味します。
第二に、戦略は統一的に制御されなければなりません。戦略は組織目的でもあります。戦略が複数あれば、組織は分裂してしまいます。
第三に、戦略は、単一では機能を発揮する事ができません。政治とか、経済、外交と言った軍事以外の要素との連携によって本意の機能を発揮します。戦略のみを取り上げて是非を論じる事は愚かな事です。
以上の三つの原則を前提として戦略は組み立てられなければなりません。
それ故に、戦略というのは必ずも秘匿される事象でありません。

つまり、戦略を立てるに先立ち、国家理念、国家目的を明らかにする必要があります。国家理念、国家目的は、戦略の要です。そして、政治体制も経済体制も国家理念の上に立脚しています。これらが、戦略立案の大前提です。

先ず、戦略上の国家目的、目標を設定します。
この様な戦略上の要件は、国家理念、政治体制、経済体制を共有する地域、同一の国家理念、政治体制、経済体制を敷く国家群が戦略基盤となります。
国家が生存するために必要となる資源の調達、確保、輸送が戦略の骨子となる。
国家が生存するために必要な資源は、第一に食料、第二に、エネルギーである。

国家戦略の根本目的は、国家の生存にあります。

国民国家の目的の基本は、国家の領土を護ることと国民の生命財産、権利を護る事にあります。

国家戦略を立案するためには、国家が生存するために必要最小限の自明な条件を確定することから始めなければならない。

即ち、国家、国民が護るべき事を明らかにし、国家の目的を明らかにする事が要求されるのである。
その場合の国家の定義は要件定義である必要がある。
即ち、国家が成立し、生存するために必要な基盤を列挙することです。

戦略を立案するための前提要件は、国家理念、政治的要件、経済的要件、外交的要件、地理的要件、軍事的要件等です。その上に、文化的要件が加味されます。

そして、国家理念、政治体制、経済体制、外交関係、法体系、軍事基盤等の同一性が高い国に従って優先順位は決められます。
理念や法に対する考え方を共有していない国とは妥協が成り立たないからです。

同盟関係や最終的連携は、国家の依って立つ理念に基づきます。なぜならば、それが戦略の本来の目的と合致するからです。
戦術的選択として、国家理念の違う国と連携することはあっても一時的な事に過ぎません。なぜならば、戦略そのものが建国の理念に基づく事でなければならないからです。

国家理念や政治体制図違う国では、とるべき戦略も違ってきます。
例えば君主国を相手にする戦略は、行き着くところ、権力闘争であり力関係で決めるしかなくなります。国民国家を相手とする場合は、市場が問題となり、共産主義国ではイデオロギー闘争、路線が核となります。
なぜならば、君主国は、君主の利益を最大限に実現する事を目的とし、国民国家は、自由市場の実現を目的とし、共産主義国は、共産主義に基づく国家や世界を建設する事が最終目的だからです。
気を付けなければならないのは、イデオロギー闘争が破綻した共産主義国の戦略は、全体主義国や独裁主義国のような覇権主義、帝国主義的なものに変質している事です。

国民国家間の戦争というのは、まったく考えられないというわけではありません。実際にアメリカの南北戦争は、国民国家間の戦争であるが、どちらが勝ったとしても負けた方を併合したら、同等の権利を持つ国民になるのであるから、血みどろの戦争をする意味がない。得に、国民国家間では戦争というのは起こりにくいものだと考えるべきです。

それに対して、全体主義や独裁主義国、君主国間では戦争になりやすい。なぜならば、全体主義、独裁主義、君主国は、特定の個人や階級の意志や都合、特に、体制の維持する事が何よりも優先される。その結果、外部に敵を作り、それによって目的を達成しようとする意向が働くからです。手段が目的化しやすいのである。

国民国家は、国民の合意がなければ戦争を仕掛けることはできません。
民主化された国を相手にして戦争をするためには、国民を納得させることのできる大義名分がなければなりません。
その名分は、人道とか、民主化、或いは、相手国からの侵略です。いずれにしても国民の意志統一を実現する必要がありますが、言論の自由が確立した国に於いては、反日といった感情を煽ったとしても困難なのです。

国家理念を核として、個々の国家の国力に基づいて国家間の力関係は形成されます。
国力の前提は、人口、生産、資源、体制等です。

エネルギー戦略は、国家の存亡を左右します。

戦略の要は、第一に、情報、第二に、食料、第三に、エネルギーです。
食料とエネルギーは戦闘を継続するために不可欠な資源であり。古来、秤量責めというのが戦術の常套手段として用いられたように、戦略の基礎を為しています。
よく軍事行動と戦略を結びつけて戦略を軍事作戦と同一視している人がいますが、軍事行動は、戦略における最終手段であり、軍資行動は情報と兵站の上に成り立っている点を忘れてはなりません。
戦略の根本は戦わずして勝つである。特に、核兵器や生物化学兵器のような最終兵器が発達した今日、通常兵器であったも軍事行動を多用することには多大なリスクが伴います。
先ず、情報、兵站を制することに主眼を置く。それが今日の戦略の要諦です。
その意味で、食料とエネルギーは、最も重要な戦略物資と見なされます。今日の軍事行動の過半は、エネルギーと食糧の確保に費やされていると言っても過言ではありません。つまり、食料とエネルギーは、国家の生命線なのです。そして、エネルギーこそライフラインを形成する資源なのです。

また、エネルギー戦略は、国家の主権と独立を試される大事です。世界各国がエネルギーを以て国家戦略を立て、エネルギー資源の確保に凌ぎを削っている今日、本来手段であるべきエネルギー戦略が国家戦略にとって変わり、国家の存亡をも揺るがしかねません。
この点を重々承知してエネルギー戦略は立案されるべきなのです。

エネルギー戦略は、我が国の現実を直視する事から始めなければならないと思います。
他国の言動に惑わされてはいけないのです。
今、日本のエネルギー戦略は曲がり角に来ているのは明らかです。

自由経済に於いて経済の実態を決定付けるのは価格です。
どの様な場によって、どの様な経路で、どの様な手段によって、どの様な前提で、誰が価格を決定していくのか。それが、産業の有り様を方向付けます。

元々エネルギー業界は、固定比率が高く、商品の差別化が難しいために、乱売合戦に陥りやすく構造不況業種になりやすい体質を持っています。そして、それがエネルギー戦略の狙い目なのです。
エネルギー業界が構造不況業種に陥り、経営主権を保てなくなれば、敵対勢力にとって格好の標的になるのです。

原子力が是か否か、石油が是か否か、天然ガスが是か、否か、プロパンガスが是か否か、再生エネルギーが是か否かは、単に経済的な要因ばかりで判断しうる事ではありません。
我が国の国防、防災上に於いてどの様な体制が是か否かの議論が根本になければなりません。
エネルギーの大半を輸入に頼っている我が国のとるべきエネルギー戦略は、とにかくエネルギー消費を少なくし、そして、安定的なエネルギーの確保を実現するために、エネルギー資源国との関係と市場の環境を良好に保つ事です。そして、それを可能とするための市場環境を整える事です。
エネルギー資源やエネルギーの調達先を多様化し、同盟国や友邦国に供給元をするように計る。
第二次大戦も石油を抑えた連合国と石油を抑えようとした枢軸国という図式も描けるのです。エネルギー戦略を誤る事は国家を誤る事にもなるのです。

規制が市場のあり方を決めるのです。
だから、無原則な規制緩和に私は、反対です。
かといって安易な規制強化も私は、反対です。
先ずその前に、日本のエネルギー産業をどの様にしたいのかの構想がなければならないと言っているだけです。
何の公算もないままに、規制を緩和し、競争を煽れば、価格競争に陥らざるを得ない。そうなったら、単に競争ではなく、生存闘争に陥る。その結果は、寡占、独占です。それは、結局、全体主義に繋がるのです。
その前提は、大量生産、大量消費、標準化、平均化、均一主義です。本来、成熟というのは、多品種少量生産、多様化、差別化、個別化を意味する事です。それが高価格と所得の安定をもたらす。今やっている事は、何もかもが自由化とは逆行している。
今の効率化は、生産性の効率化を意味していて、分配の効率化や消費の効率化を意味していない。それが市場の荒廃を招いているのです。

エネルギー政策を考える上で重要なのは、単位消費量と単価です。
エネルギー戦略は、単位消費量を削減する事につきるのです。そのために、単価を上げざるを得ない。それは、単位消費量が減少すると企業収益が圧迫され経営が成り立たなくなる上に、単価の低下は、消費量の増加要因でもあるからです。
実際、高効率ガス器具が開発されていますが、それが普及しない最大の理由は、単位消費量の減に繋がるために、ガス会社の収益を圧迫するからです。
現在の電力業界を鑑みても、これからは、エネルギーの高価格時代にする必要があるのです。その上で、エネルギーを効率よく消費する。消費経済を確立する必要があります。

この様な点を考えますと個々のエネルギーを単体で捉え、それぞれが独立した市場で価格競争をしていたのでは行き詰まる事は目に見えています。
だからこそ仕組みが鍵を握っているのです。一つの家庭に対して多様なエネルギー資源を組み合わせる。
オール電化ではなく。
最も効率の良いエネルギー源を目的や状況、費用対効果によって組み立てる。それが、エネルギーの効率を高める事にもなります。
状況環境によっては、都市ガス、電力、プロパンガス、太陽光、石油などの資源を使い分ける事のできるような仕組み作りが鍵を握っています。
だからこそ、大規模集中型システムと、小規模分散型システムの両方を活用できる体制が求められるのです。

むろん、ガス会社の集約化、合理化、効率化は避けて通れません。しかし、それは単純に市場競争を高めて淘汰すれば良いというものではありません。
なぜなら、エネルギー政策は、国策に沿ったものであると同時に、保安やメンテナンスに関わる高度な技術が恒久的に個々の企業に要求されるからです。
むしろ市場の原理を活用するならば、適当の数の企業が節度ある競争ができる環境を作るのがエネルギー戦略の骨子です。

エネルギー政策は、単に価格だけで捉えれば良いというものではありません。災害時や戦時といった有事の際に対しても常に備えておかなければならないライフラインでもあるのです。その点を忘れて効率だけを優先した自由化になれば、エネルギー業界のみならず、国家の存亡すら危うくしてしまうと思います。

エネルギー業界が混乱し、瓦解し、或いは、敵対勢力の支配下に置かれれば、日本の独立は危うくなります。この点を十分に留意すべきなのです。
イランや北朝鮮問題において原子力問題は、兵器ばかりに目が向けられていますが、背後には、エネルギー問題が隠されている事を忘れるべきではありません。
重要な事は、国家にとってエネルギーとはどんな働きをしているかを自覚する事です。日本人は、エネルギー戦略に対して無防備すぎます。

むろん、エネルギー産業の集約化、合理化、効率化は避けて通れません。しかし、それは単純に市場競争を高めて淘汰すれば良いというものではありません。
なぜなら、エネルギー政策は、国策に沿ったものであると同時に、保安やメンテナンスに関わる高度な技術が恒久的に個々の企業に要求されるからです。
また国防に直結した産業だからです。
むしろ市場の原理を活用するならば、適当の数の企業が節度ある競争ができる環境を作るる事こそエネルギー戦略の骨子です。








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