小池防衛大臣が、防衛省の事務次官の人事に関し、事務次官から抵抗を受けたという事が話題になった。この是非を多くの識者が論議していたがこれは不思議なことである。もともと、人事権は、その組織の最高責任者に帰すべき専任事項であり、人事権を奪われたら、最高責任者は、最初からその組織を統御することは不可能である。つまり、議論する余地のないことである。しかし、この事件は、日本の官僚機構の特質をよく現している。
日本が太平洋戦争に突入したのは、独裁的体制、もしくは、全体主義的体制が暴走したと言うよりも、全体が一つのまとまりを欠いたまま、制御不能に陥って戦争に突入してしまったというのが実体である。
日本の官僚組織というのは、官僚組織の任免責任者に実質的な人事権がないという、世界的に見ても希有な組織である。つまり、人事制度が自動化されているのである。確かに、現在の官僚人事制度における任命権者は、法的に担当大臣と言う事にはなっている。しかし、資格任用制度による拘束を受け、されに実際の手続上の処理、事務手続きを当事者に握られ短期間にそれを発動しなければならないとしたら結局官僚の言いなりになるしかなくなる。つまり、省庁の人事は、実質的に官僚に握られているのである。しかも、それが非公式な慣行によって規制されているとなると、官僚自らの人事を官僚機構が自律的に行っていることになる。しかも、官僚の身分保障、降格などを含めた処分の制限、一斉人事の慣行などによってこの仕組みが守られているとなると結局、官僚機構は、官僚によって自律的に支配、運用されていることになる。
こうなると官僚機構そのものが一種の運命共同体と化し。身内意識の横行を許すことになる。その結果、組織内の不正の隠蔽や組織的不正を防ぐことは困難である。その結果、公務員の世界では、原則的に解雇どころか、降格人事もされない。早さの違いがあっても一定の年功的昇進システムが成立している。(「日本の統治構造」飯尾潤著 中公新書)
最近でも、社会保険庁の職員の年金横領事件が発覚した。その処理も内々に処分したものが多く、自主退職を勧告して退職金まで支払っているケースまであり、多くが刑事告発もされていない。
政治家というのは、本来、権力者なのである。その権力の源は、人事と金にある。権力者、人事と金を取ってしまえば、権力を発揮することはできない。政治家が権力者ならばこれを監視し、抑制する必要がある。しかし、権力のない政治家を抑制する必要があるのか。その点を日本人は履き違えている。権力を与えずに、要求だけしても何の力も発揮できないことを自覚すべきなのである。
例えば、教科書である。教科書の検定の是非を問題とするが、教科書を、誰が、選ぶべきかは議論されない。所詮、誰かが教科書を選ばなければならないのである。教科書を人つとってそれを選ぶためには権力がなければならない。その権力を誰に与えるかである。その対象として考えられるのは、学校の先生、それから、学校当局、地域住民の代表、父兄、役所が考えられる。地域住民の代表というなら、市長、市会、、県知事、県会、国会、文部大臣とある。又、教育委員会もある。しかし、国の役人が選んで組合がチェックするというのはおかしい。それが正常な感性である。ところがその正常な感覚が働かない。
本来、最も自分に身近な人間が学校の教科書を選ぶのが良いと私は思う。つまり、地域住民の代表者であろう。そうなると、市会、市長、又は、市の教育委員会だろう。学校の人事権と教科書の選択、それぐらいの権限を与えなければ、代議員だって教育委員だってその力を発揮することはできない。よしんば、市会や教育委員会が、極端な教科書を選んだとしてもそれを良しとしないのならば、最初から、民主主義なんて成り立たない。また、それを国が信認できないと言うならば、民主主義なんて成り立ちようがない。選挙民を信頼し、代議員を信用することを前提として代表制民主主義は成り立っているのである。もし、それを役所が全てやるとしたら、それは、官僚独裁体制であって、民主主義とはいわない。
所詮、組織は、人間の集合体なのである。人間の判断、決断があって成り立っている。その人間の判断、決断が信用できなければ、組織は成り立たない。その判断は、基本的に主観的なものである。この人間の主観的判断を否定してしまえば、組織の意思決定機能、意思決定機能に基づく制御機能は成り立たない。それは組織そのものを否定する事である。それを前提としてはじめて、公平、公正、中立、客観的基準が成り立っている。それが組織の人間性である。
日本の官僚機構は、科挙制度に範がある。科挙は試験による資格登用制度であるが、試験が重視されるあまり、実績、実体が軽視される傾向がある。そして、仕事の成果よりも試験の結果の方が、有効であるという転倒した現象を引き起こす。かくて、仕事に精を出すよりも試験勉強をした方が得だと言う事になる。この様な弊害を除去するためには、人事の主体性を取り戻す必要がある。
人事権が機能していない組織は、制御できない。人事権を行使するためには、組織にフィードバック機構が備わっていなければならない。
行政機構、組織が事業収益を上げられるような機能を持っていない。それは、行政という組織が経済的に自立していないことを意味する。組織は、人事制度を通じて報酬や職位、職務に還元されてはじめて機能し、制御される。この様な統御のしくみがない組織は、機能しない組織は、組織を制御する事はできない。
日本は、官僚機構に乗っ取られようとしている。この様な事態を打開し、改善するためには、制度とは何かを明らかにする必要がある。