国家の存在意義は、国民の生命と財産を国内外の敵から守ることである。その為には、武力を持つことが前提となる。しかし、武力は、武力である。暴力であることに変わりはない。故に、この武力を抑制、制御する仕組みが必要となる。
ガスや石油、電力、原子力というエネルギーは、危険物でもある。そのまま放置したり、扱いを間違うと大惨事を引き起こす。エネルギーを安全かつ、効率的に利用するためには、装置が必要である。武力もエネルギーと同様、危険物である。故に、武力を自分達に役立つように活用するためには、何等かの仕組み、装置が必要なのである。それが制度である。
つまり、武力を抑制する仕組みがなければ、国民国家は、維持できない。権力分立も武力を抑制する目的が達成できなければ無意味である。つまり、分権思想というのは、根本的に権力に象徴される武力を抑制、制御する仕組みなのである。その点を忘れてはならない。
危険物である武力を抑制する仕組みが国家制度、民主主義制度である。その為に、法を基礎とした権力の分割がされたのである。それが三権分立である。
三権分立は、法を土台として成立している。三権分立は、機構であり、それだけでは成立することはできない。国民の諸権利や義務、特に、選挙権が保障され、有効に機能してはじめて三権分立は確立される。その上、国家権力の根源である軍事力と警察力が国家機関の制御下、支配下におかれていることが前提となる。
三権分立は、憲法によって実現し、保障されている。三権分立は、法を土台としている。法の礎は、憲法である。我々は、憲法を理念だと錯覚しているが、憲法の本質は、国家制度を実体的に定義するところにある。その点を忘れては憲法は、成立するための要件を満たすことができず、実現できない。
三権分立と言っても根源は、法である。つまり、法の立案、制定、改廃を立法が、法に基づく監視、裁判を司法が、法の執行を行政が行うのである。つまり、国民国家、民主主義というのは、形から言うと法による支配体制を言うのである。
江戸時代の、北町奉行、南町奉行を見ても解るように、権力の分立という思想は、古くからある。(町奉行というのは、一定の地域の司法、行政、警察を兼ねた存在である。)権力が単一であるという事は、相互牽制力がなくなることを意味する。又、権力者内部においても武力が集中すれば、勢力の均衡が破られる。それ故に、武力が集中しないように権力の分散を計ったのである。
この様に、国民国家が成立する以前の分権思想というのは、権力者が権力機構を統治するための手段に過ぎない。国民を国家権力の持つ暴力性から保護するためのものではない。その為に、武力は、時として国民の側に向けられ、行使されたのである。三権分立は、あくまでも、国民の保護を目的としたものである。この点を忘れてはならない。いくら三権を分立しても国民を保護できなければ意味がないのである。
武力には、二種類ある。一つは、外敵に対する武力である。今一つは、内部の敵に対する武力である。前者は、軍が担い。後者は、警察が担う。この二つの武力を抑制できなければ、分権する意味がない。
三権の中で特に、法の執行機関である、行政の長は、実質的な国家の最高の権力者となる。通常、平時は、行政の長は三軍の長も兼務する場合が多い。これは武力の集中という観点からすると極めて危険なことである。故に、行政府の長が、武力を行使する際、いろいろな制約、規制を行政の長に掛けるのである。つまり、三権分立の仕組みは、行政府の長に対する牽制装置だとも言える。そこに三権分立の意味がある。又、機能がある。それ故に、法なのである。近代法は、権力者も拘束する。法を超越する者を認めることは、法の権威、ひいては効力を消失させてしまう。
武力というものは、大小ではない。小さな規模でも武力を独占すれば、国家体制を支配することは可能である。民主主義の破綻の多くは、軍事クーデターであることがその証拠である。少数者でも国家を支配することは可能なのである。
軍国主義に対する誤解がある。軍事組織が、国家制度や国家の仕組み全てに浸透する制度を軍国主義というのではない。軍が、政治権力を掌握した体制を軍国主義体制というのである。軍自体が多寡は問題ではない。軍の規模が小さくても軍国主義体制は、敷ける。つまり、国家体制を軍の支配下におこうという思想を軍国主義というのである。いくら、制度的に民主主義を装っても実質的に軍が、政治権力を掌握していれば、それは軍国主義体制である。
又、軍ばかりが恐ろしいのでもない。警察力も侮ることはできない。過去には、警察国家というのもあったのである。いずれにしても、武力は国の内外を治めるためには不可欠な力である。しかし、一歩、あやまれば、民主主義を破綻させてしまう。特に、民主主義が有効に機能しなくなり、国家が危機的な状況に陥った時に、武力に対する抑止力を失う傾向がある。それ故に、制度的に権力内部に抑止力を持たせておく必要が生じるのである。
権力が集中すると、相互牽制がきかなくなり、権力に対する抑止力を喪失する危険性がある。また、権力の集中は、武力を独占され、抑制する力を失う事態を招く可能性を孕んでいる。それ故に、権力の集中を避けるのである。
権力者が権力を奪われる相手として最も警戒しなければならないのは、側近である。常に、権力が一点に集中することを嫌ったのである。権力の分散は、権力者自身の保身の目的もあったのである。
歴史的に見ても、政治権力が武力によって倒され、又、交替するのは、革命よりも、クーデターの方が多い。革命というのは、極めて稀なケースであり、革命による政権交代も結局は、軍の動向いかんによるのである。
権力を分散する必要性を鑑みると、ただ単に、武力を分散するだけでは不十分である。なぜならば、武力だけが権力の中枢を動かしているわけではないからである。問題は、権力の中枢において、相互牽制機能が働くようにすることなのである。
それ故に、国家機能の礎石を形成する法に関する三つの機能、即ち、立法、司法、行政を分立させているのである。それによって権力が一点に集中、特に、行政の長に集中することを避けているのである。それが三権分立である。
三権分立は、民主主義体制の要である。三権分立と言ってもそれを支えているのは、制度である。所詮、制度というのは、機構に過ぎない。制度には、その制度が成立するための土台が必要なのである。そして、その民主主義制度を生み出し、支えているのは、法と手続である。故に、民主主義は、法と手続の体制とも言える。
三権分立というのは、国家権力の中枢を、立法、司法、行政の三つの機能に分割し、それぞれの機関を法制度を基盤として自立させ、相互牽制させることによって国家権力の制御させる仕組みである。
三権分立は、法を基盤としている。法治主義を前提とし、法制度の上に成り立っている。その基盤、土台がなければ、権力の分立は成り立たない。
三権分立体制下における法とは、必要な手続に基づいて制定された命題である。ただ、誤解してはならないのは、立法行為は立法府だけの専権事項ではないという事である。また、立法行為は、法の認識の仕方によって相違してくる。
法は暴力を抑止する力を持たなければならない。基本的に法は、暴力を抑止する目的で定められる。これは、法に対する国民の意識にもよるのである。軍人を含め、法を絶対不可侵の掟だと捉えるか。悪法は、法ならずと相対的なものとして考えるかによる。
近代法では、法は法である。一度法として制定されたものは、国民は等しくこれを遵守する義務を負う。それが国民国家の鉄則である。もしこれが、守られなければ、法は、暴力を抑止する効力を失う。法は、守られなければならない。その為に、法を改廃する手続も同時に定められているのである。民主主義国において、法の権威が失墜すれば、たちまちの内に、無法状態、無政府状態に陥る。三権分立の機能が作動しなくなるからである。
戦前の日本は、軍部が三権分立体制外にあった。つまり、日本の軍部は、統帥権に守られて、三権の分立の外におかれていたのである。又、行政府は、国会の支配下にあったわけではない。これでは、三権分立と言っても形骸的なもので有効に機能することはできない。一つの憲法下、三権分立が成り立っており、尚かつ、国の機関の全て、特に、武力がこの三権分立体制の支配下にあることが、三権分立が有効に機能する前提なのである。そして、それが、民主主義の大原則となる。
又、それを成り立たせているのは、国民の意識と法に対する文化である。
制度は、制度だけでは成り立たない。制度を成り立たせている文化が重要なのである。つまり、国家制度ならば国民一人一人の意識と価値観によって制度は支えられている。それが国民国家の在るべき姿でもある。
それ故に、法に対する意識、伝統、歴史、文化、考え方が制度に重大な影響を働かせているのである。
その典型が、コモン・ローの国と成文法の国の違いである。
成文法の国とコモン・ローの国では、同じ三権分立制でもその役割機能に大きな違いがでてくる。陪審制度でも、あらかじめ書かれてある法、成文法と、判例に基づいて討議によって明らかにする法とでは、自ずと法の在り方や法を司る仕組みが違ってくる。
O.J.シンプソン裁判のような人種問題や政治問題が絡んだ、国民的議論が沸き起こることもある。つまり、判例法においては、法の解釈が問題とされるのではなく、法の精神が問題とされるのである。それは、時には、人民裁判のような様相も呈する。又、それ故に、弁護士の力量によって裁判の行方が左右されるのである。
三権分立体制は、法を土台としている。法を土台としている以上、三権分立が成立するためには、法をどう認識するかが重要になってくる。その在り方によって国家の在り方も変わってくるからである。この点に関し、日本人は無神経である。
三権分立体制は、法を基盤として成立している。法体系は統一されていなければならない。法体系を統一するためには、法の根拠となる国家理念を明文化した憲法が統一されていなければならない。複数の法があることは、機関としての司法、立法、行政を統合できなくなることになる。故に、法の分裂は、国の分裂をも意味する。この典型が戦前の日本の体制である。
法体系は一つの原則に貫かれていなければならない。その基準が憲法である。ところが日本人は、この原則がよく理解されていない。好例が予算である。予算は一つでなければならない。しかし、日本の予算は、必ずしも一つとは限らない。それが財政破綻の一因となっている。(「財政のしくみがわかる本」神野直彦著 岩谷ジュニア新書)
法を潜在的、アプリオリな存在、イデアと見なすか。立法行為に基づいて定められた掟として見なすかである。
日本にとって法は正義か聞かれれば、法と正義は違う。なぜならば、日本にとって法は、立法手続きに則って定められた条文を指すからである。つまり、日本人にとって法は、法として書かれている物以外を指さないからである。
しかし、判例法の国においては、法は、正義である。日本人にとって法は書かれてある条文であるが、コモン・ローの国においては、法は必ずしも書かれているものとは限らない。書かれている条文であれば、法の解釈は、条文の解釈に等しいが、法は、書かれているものと限らない、普遍的な摂理だとすれば、条文の解釈だけにとどまらない。それ故に、陪審制度が取られるのである。
立法機関も、司法機関も、行政機関も中枢となる機関は、会議体だという事である。それが、三権分立の性格を物語っている。我々は、民主主義体制の中枢として議会を思い浮かべる。議会は、むろん、会議体である。しかし、民主主義を構造的に支える司法、立法、行政の三つの機関は、いずれも、会議体を中核とした機関であることを忘れてはならない。それ故に、民主主義を有効に機能するためには、会議体に対する下地、文化、実務的知識がなければならない。民主主義は、契約、制度、会議の体制だと言ってもいい。
なぜ、会議体が民主主義、三権分立の要となるのか。それは、武力による争いを避けるためにである。言い換えると、武力によらない戦いによって決着をつけるためにである。故に、ルール、法を重んじるのである。法がなければ、決着がつかないからである。
アメリカの南北戦争を内乱という見方もできるが、独立国同士の戦争という見方もできる。後者の見方に立てば、一方の国が、もう一方の国を力で屈服させたという見方が成り立つ。
南北戦争は、結局、会議によって(話し合いではない)決着がつかなかったが故に、最後には武力に訴えた例であるが、仮に、北部が南部に敗れて場合は、どうか考えればいい。その場合、奴隷制は、果たしてどうなったかである。正義とは何かと考えた時、必ずしも正論を唱えた側が勝つとは限らないという事を心のどこかに止めておく必要がある。所謂、倫理的な意味での正義と法で言う正義とは違うのである。
植民地化された国々のことを考えれば、尚、歴然としている。植民地化された国々は、正義によって植民地化されたわけてもなく、圧政から開放されるために植民地化されたわけでもない。しかも、植民地を持った国は、必ずしも専制主義国家だけとは限らないのである。ただ、民主主義だから正義だというのは早計なのである。
公民権運動でも黒人を入学させないというのも暴力ならば、入学させるというのも、又暴力なのである。黒人を入学させるというのが正義ならば、黒人を入学させないのも正義なのである。この点が日本人には理解できない。それ故に、日本人は、結果からしか判断できないのである。
勝てば官軍なのである。結局、正義は力によってしか立証できないのである。つまり、民主主義の正義は勝った側にしかない。それが民主主義なのである。その決着を武力によらずにつけようとすれば、会議の場で決着するしかない。そして、その決着の手段は、多数決なのである。故に、民主主義の正義は、多数決の原理によって決着するのである。
その為に、民族や人種、宗教の分布は、民主主義に決定的な影響を及ぼす。それは、平等の概念にも作用するのである。単一民族からなると思い込んでいる日本人には、なかなか理解できない。しかしこの事は、多民族国家や少数民族を抱える国家にとって民主主義体制を確立する上での重大な障害となるのである。この事を良く考慮しなければ、三権分立を確立することはできない。結果的に、多数勢力の独裁体制を招く。
制度は、過程である。法制度が実現する為には、過程が重要である。立法行為が政治的過程ならば、法は政治的所産である。法は、政治的過程、立法的過程、司法的過程、行政的過程を経て出現するのである。