立   法

 戦後の日本に生まれた者は、法治主義が当たり前なことだと思い込んでいる。法のない世界が想像できない。法は、自然の摂理のように所与の原則だと思い込んでいる。そして、法は、与えられる者であり、解釈の対象でしかない。つまり、法を自分達の手で制定し、管理、監視するという発想に乏しい。
 現代日本人の多くは、立法である議会は、なんだかんだと問題はあるが、最高の国権であるという事は疑いの余地のない事実だと認識している。故に、立法府はあって当たり前であり、なければ異常であると確信している。
 しかし、日本で立法府の地位が確立したのは、太平洋戦争後のことである。それ以前は、天皇が最高の国権だったのである。立法府は、確かにあったが、それは、補助的な機能しか与えられておらず。しかも、第二次世界大戦の開戦前には、立法府は、行政府の補助機関と化し、事実上機能しなくなったのである。つまり、立法府の歴史は浅く。又、立法府は,我々が考えているよりずっと脆弱な基盤の上に築かれているのである。

 立法と言う行為に我々は、錯覚がある。立法は、専ら立法府の仕事だと思い込んでいる。つまり、立法機関があって立法がされていると考えるのである。しかし、それは立法府が確立されたい後のことであり、立法機関として立法府が確立されたのは近代に入ってからである。又、立法という行為は、司法においても行政においても一部されている。特に、コモン・ローを法の基盤としている英米においては、立法行為を司法に負うところが大きい。
 また、近代以前では、立法という行為は、専ら専制君主の専権的仕事だった。極端な話、立法という行為そのものが存在しない場合すらあったのである。「朕が国家、朕が法なり」という認識が権力者である君主の一般的な認識である。
 つまり、立法行為は、立法府が行うだけではないのである。立法という行為が何を指して言われているのかが理解されていない証拠である。
 また、立法という行為が立法府で行われるためには、立法行為がひろく国民に受け容れられている必要がある。その点にも、日本人は疑問を抱いていない。だから、立法という行為の真の意味が理解されていない。

 立法という行為がひろく受け容れられるためには、法治という概念が浸透していなければならない。その法も権力者の道具としてでなく。権利としての法の概念が確立されていなければならない。つまり、法の下の平等という思想が前提とされなければならない。その上ではじめて立法の意味が理解される。

 法の名の下の平等が確立され立法権が国民の手に渡っていてはじめて立法府の効力が発揮される。

 法治国家に生まれた、我々は、法による支配を当然のことのように受け止めるが、人民を統治する支配形態には、第一に、人による支配。第二に、神による支配。第三に、血族による支配。第四に、血族以外の集団・組織による支配。そして、第五に、法による支配がある。そして、近代以前では、無法状態の方が一般的な支配形態なのである。法というのは、統治される側だけでなく。支配する側にとっても厄介なものなのである。

 むろん、人による支配や集団による支配でも法を手段として用いることは可能であり、又、歴史的に多くの事例はあった。しかし、結局何が優先されるかであり、最終的に法よりも君主の意志が優先されれば、法治国家とは言えない。
 例えば、チャールズ一世は、「権利の請願」が議会で採択されたにもかかわらず。これを無視し、議会を解散させて11年間親政を敷いた。 

 西欧以外では、法は、支配、統治の手段道具に過ぎない。つまり、法は、民衆、人民の側にあるのではなく。権力者の側の道具に過ぎない。また、法は、権力者の恣意的な判断に委ねられており、その為に、精緻にする必要がなかった。又、精緻にした方が融通がきかなくなるため、大雑把な取り決めに過ぎなかった。つまり、近代以前の法は、権力者の意志を代弁するものにすぎなかったのである。
 西欧では、自由になるために法があるのに対し、西欧以外では、自由を制限するために法がある。それが法に対する決定的な認識の違いとなる。
 西洋では法は権利章典であるのに対し、東洋では法は、法度、取締法なのである。

 権力というのは、無法な存在なのである。だから、法によって権力を抑制しようとしたのが、近代法のはじまりである。それまでの法なんて、権力者の都合でなんとでもなる。大体において、戦前の日本の法は勅令を併用している。明治の大日本帝国憲法も欽定憲法なのである。
 日本人は、予算も、条約の批准も立法行為だと思っていない。それは、明治憲法下では、議会で定められる法と勅令が併用されていた。予算で決めた事が勅令に反すると困るので日本では、予算は、法ではなく、単なる見積もりだと言う事になる。(「予算のしくみがわかる本」神野直彦著 岩波ジュニア新書)
 つまり、議会で制定される法以外に、法以上の効力を持つ勅令があるのである。その最たるものが統帥権であり、この統帥権の独立故に、日本は、軍の暴走を抑止できなかったのである。
 また、日本人は、法を刑罰と一対で考える性質があるので、刑罰に直接結びつかない、予算や条約とをなかなか法に結びつけられない。つまり、法が定められたらその対極に違法行為がなければならないと思い込んでいる。しかし、予算や条約に対する違法行為とは何かが思い浮かばないことにも原因がある。

 抑圧される者、つまり、法によって取り締まられる側の人間にとって法は厄介なものでしかない。権力機構は、庶民から見れば体のいい暴力団、やくざなものであり、なるべくならば、ない方がいいと思っている。つまり、権力の横暴や法の暴力の方が強かったのである。

 江戸時代、権力にたいして一般庶民が物申すことは、佐倉宗五郎の例を見るまでもなく、正論を言うにしても命懸けだったのである。そして、その様な体制は、戦前まで続いたのである。それは、国民の基本的人権が確立されていなかったからである。言論の自由の根拠は、国民の基本的人権にある。それは、崇高な権利である。ところが今日、マスコミは事故の言論の正当性を主張するために言論の自由を利用する。それが言論の自由を危うくするような事例であっても、自分の利益を守るためには手段を選ばないのである。それは言論の自由を命懸けで勝ち取ったものに対する冒涜である。(「民主主義という不思議な仕組み」佐々木毅著 ちくまプリマー新書)

 特に、税は、その意味で権力者による強奪だという認識が広く一般的である。これは税に対する基本的な発想の違いにもなる。元来、税は、権力者による収奪だという認識が納税者の側にある。それは、税が権力者による一方的な行為であることに由来する。しかも、徴税の目的が国家、人民の生活や福利でない事に起因する。そりうえ、我々は、納税というと、金納、せいぜい言って物納であるが、近代以前の税には、納税の中には賦役や用役も含まれていたのである。この賦役は、兵役である場合が多い。元来、兵役は税の一種だったのである。
 国民国家においては、納税は、権利から派生している。故に、納税は、権利であり義務である。
 明治維新以前の兵は、私兵であり、国軍ではない。つまり、徳川家や天皇家に仕える家臣はいても、日本という国に仕える武士や侍は存在しなかったのである。大体国家という概念そのものがなかったのである。それは、税も国家に対するものではなく、君主や封建領主に対して治めるものだった事を意味するのである。税は、君主や封建領主の報酬であって国民に対する公の費用を賄うためではない。それ故に、納税は強権を持ってなされたのである。

 この様な体制において、国家予算は、君主や封建領主の家計の延長でしかない。つまり官房費に過ぎない。故に、税の徴収の目的も国民国家のように国民の福利ではなく、あくまでも、君主、支配者、権力者が権力を維持し、自分の欲望を満たし、生活を維持すために必要な経費を徴収する事なのである。それ故に、度々、税を巡って反乱が生じたのである。アメリカ独立戦争の直接的原因もインドの独立もイギリスの清教徒革命も税に端を発している。

 専制政治下においては、法は、庶民の味方ではなく。むしろ敵だったのである。自分達の手で、法を自分達の味方にした民衆と、ただ、法を与えられた民衆との法に対する意識は、決定的に違う。その点をよく理解しておく必要がある。

 専制主義国では、法は、権力を守るための手段に過ぎない。それに対して、国民国家においては、国家、国民の福利を実現するための費用である。又、軍は、国家・国民の生命財産を守るための組織、機関である。封建領主のための私兵とは、根本、本質が違うのである。その根本を無視して、軍隊を整備することは、軍国主義を増長するというのは、あまりに稚拙な思想である。守るべき対象が違えば、その目的や機構、本質が違うのは当然のことである。

 立法者とは、基本的に権力者である。権力の裏付けなしに立法はできない。なぜならば、法には強制力が付き物だからである。

 又、多くの場合、権力者は、超法規的存在、超越者である。つまり、法は、被支配者を統治する目的のためにあるのであって、支配者を拘束するものであってはならないという考え方が支配的だったのである。支配される側の者が殺人を犯したり、放火したり、金品を強奪することは許されなかったが、支配者が行うことは、大目に見られていたのである。

 この様な体制では、立法行為は、支配者、権力者の専権行為であり、侵すことのできない禁忌である。又、裁きは、あくまでも機密であり、公にはできない、私的行為である。大岡裁きに代表される奉行物語は、それが名裁きであればあるほど町奉行の私的裁量であることを明らかにする。また、鬼平犯科帳、水戸黄門漫遊記などは、立法行為が権力者の私的行為であったことを端的に現している。極端に言えば法は、権力者の気まぐれの賜物(たまもの)なのである。
 そして、この御上意識は、日本人の意識から抜け切れていない。国家が、困難な事態に直面した時、超人的な英雄が現れ超法規的な裁きをしてくれるのではないかという期待である。しかし、この様な意識を持っている限り、民主主義は確立できない。民主主義は、人民が自分達の力で、正義を実現する事を大前提としているのであるからである。

 イギリスにおいては、法は、権力者をも超越した絶対普遍的な何者かの意志によって定められるものという前提がある。それは神とは限定していない。人民の意志のようなものかもしれない。又、自然法のようなもの、プラトンの言うイデアのようなものかもしれない。明確な定義があるわけではない。しかし、その前提がなければ、コモン・ローは成り立たない。世俗的権威をも超越した権威であるからこそ、世俗的権威である王権を凌(しの)ぐことができたのである。立法とは、その法の権威を顕現化する行為、手続である。

 つまり、立法行為とは、世俗的な独裁的権力、専制者から法の力によって人民の権利を護ることを目的として成立した。

 コモン・ローに対しローマ法の流れを汲む大陸法(シビル・ロー)は、論理的体系である。それは、立法機関が制定した成文法に基づく体系である。
 この様な違いは、司法制度にも現れる。それが陪審制度である。コモン・ローを土台にした英米で、陪審制度がとられるのは、討議の中から法の理念が現れるという、コモン・ローの精神に則っているからである。これに対し、大陸法を土台にした国で、国民の意志を反映しようとした場合は、参審制が取られる。
 現代、日本で導入されようとしている陪審員制は、そのいずれでもない。形式だけを導入してもその本質が理解されていなければその実体は、歪んだものにならざるをえない。

 欧米においては、大陸法においても、英米法においても、いずれにしても、神の摂理や自然法、人民の意志と言った超越的権威を法の根源としている。又、イスラム法もイスラム教を土台にしていることは明らかである。それに対して、儒教を土台にしている日本は、根本的に君主、領主の思想が優先する。つまり、統治目的が主である。これは法に対する認識に決定的な差を与えている。
 法は、御上の都合で御上から与えられるものであり、主として治安維持を目的としている。それ故に、日本では私法が慣習法の域をでず、法として発展しなかった。法は、国民の意志や正義を実現する者とかけ離れた取り決めである。つまり、法は、実利的な基準以外の何ものでもない。
 そこからは、法によって権力から国民の権利を守るといった発想は生まれてこない。むしろ、法から自分の利権を守ることばかりを考えることになる。それは、税に対する考え方に端的に現れる。法が御上から強要される者にとっては、納税は、権利でも義務でもない。国防も然りである。
 そうなると、法はなるべく軽いものであった方がいい。運用する側から見ても法は勝手に解釈できるものの方がいい。つまり、大岡裁きがもてはやされるのである。
 元来、儒教では、法治主義よりも徳治主義なのである。成文法ではなく、不文律の礼によって統治することを理想とした。漢の高祖も「殺・傷・盗」の法三章をもって統治することを理想としたと伝えられる。(「法学入門」田中成明著 有斐閣)

 法は、自分達のものでなく、御上から与えられる恩恵であり、勝ち取るものではないと言う認識がある限り、法は有効に機能しない。法が上から与えられるものであるとしたら、法を適用する者にとって法は、ただ解釈するだけのものにすぎない。立法行為も特権階級の先験的行為である。
 もし、法は、自分達の手で制定する者だとしたら、立法は、国民の権利であると共に義務である。法に従うのも、法を施行するのも、国民の権利であると共に、義務である。それが遵法精神である。
 国民国家にとって立法は、国民の権利の中核をなす行為である。「代表権なくして課税なし。」というアメリカ独立戦争時の言葉は、立法の意義をよく表している。

 国民国家は、権力者、主権者、支配者と被支配者とが同一者なのである。それが主権在民の意味であり、意義である。だから、権利と義務が一致するのである。そして、法の下の平等が成り立つのである。そこに立法府の機能がある。

 我々は、法は一つだと思っている。又、法治国家、民主主義国家は、法の下の平等を国是としているのであるから、法は一つでなければならない。しかし、それは近代民主主義が確立された後の常識であり、それ以前では、法は、身分別、階層別にあるのが当然だった。古代ギリシアの民主制においてですら法は、奴隷の存在を前提としている以上、身分別であった事は明らかである。
 つまり、かつて法は一つではなかった。支配者と被支配者層では法が違う場合が一般的であり、一つの法によって支配者も被支配者も支配されている状態の法が異常だった。

 日本においても武家諸法度や禁中並公家諸法度と言うように、武家と公家という身分によって法に違いがあった。刑罰にしても支配者層と庶民層とでは違う。支配者である武士は、切腹であるが、庶民は、切腹は許されずに、磔獄門にされたのである。

 民主主義といっても古代ギリシアには、奴隷制度が厳然として存在した。つまり、古代ギリシアの法の下の平等と言った場合、市民の資格がある者に対する平等を意味する。又、自由の国アメリカと言っても人種差別は存在した。それも法の上で実体的に存在したのである。また、戦前の日本では、納税額によって参政権が決められていた。

 又、男女による法の差別は、婦人参政権が認められるまで続いた。婦人参政権は、象徴的なことであり、性による差別は、あらゆる所に存在する。ただ、差別というのと男女の差を認識すると言う事は別の者である。それでも、法の下の平等は実現されなければならない。

 国民国家において、法は一つでなければならない。又、法は一様でなければならない。さもなければ、法の下の平等は成立せず、国家の統一も成り立たない。

 法の統一性を保証し、保つのは、憲法である。そこに憲法の持つ重大な意義がある。

 平等というのは、同等を意味することではない。何をもって平等とするかは、憲法に定められた手続に基づいて、法的に決められるべきものである。その行為、又、手続そのものを立法行為というのである。つまり、法の下の平等というのは、要件定義であり、理念的になされるものでなく、実体的、実務的になされるものなのである。それが憲法の本質である。

 我々は、憲法を理念的な体系、理想として、より重要なのは、憲法の実体的な側面である。憲法の実体的側面とは、制度の規定や定義である。それが法の統一性を保っているのである。

 重要なのは、法によって取り締まられているというのではなく。法によって護られているという意識なのである。法によって不自由になると言うのではなく。法によって自由になるという認識なのである。そして、その様な法体系を自分達の手で生み出していくという姿勢なのである。それが立法精神である。法を一部の権力者や特権階級、専門家の手に委ねてしまえば、法の正義は実現できなくなる。この点をよく肝に銘じておかなければならない。


参考文献
「世界の法思想入門」千葉正士著 講談社学術文庫




        


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