近代という時代は、ある意味で組織革命の時代である。市民革命や産業革命の背景に、組織革命がある事が見落とされているが、近代と言う時代は、組織革命抜きでは語れない。大体において市民革命、民主主義革命自体が、組織革命だともいえる。
また、ナポレオンによる軍事組織革命、即ち、師団制、ライン・スタッフ制、皆兵制度などは、戦争を形態を変え、近代の総力戦を準備することになる。
又、フォードによる流れ作業方式は、大規模な量産体制を生み出し、近代経済の基礎を作り出した。
近代という時代を理解するためには、近代組織の原理を知る必要がある。
組織は、第一に、合目的的な機関である。第二に、集合体である。第三に、構造物である。第四に、人的存在である。第五に、情報系である。第六に、自律していなければならない。第七に、意思決定機関である。第八に、運命共同体である。
組織とは、軍隊や学校、行政、議会、司法、スポーツ、企業の組織を見て解るように合目的的な存在である。また、目的の置き方によって組織の有り様も変わってくる。例えば、軍隊である。軍を単なる勝利を目的とした戦闘集団と見るか、国防を目的とした自衛的集団としてみるかによって軍の組織の有り様が違ってくる。それを目的も明らかにしないで、組織の有り様ばかりを問題にしても問題の本質を理解することはできない。組織とは、合目的的な人的機関なのである。
合目的的である組織は、機能と要素、形態によって分類できる。機能とは、働きである。働きは、目的に規定される。故に、合目的的組織は、機能によって分類される。例えば、軍隊は、戦闘的機能を持つし、工場は生産的機能を持つし、行政は、公共的機能を持っている。
組織の機能には、意思決定機能、執行機能、専門的機能、接続機能などがある。組織の持つ固有の機能によって形態は類型化される。更に、執行機能は、統制(運営)、人事、企画、渉外(外交)、経営、管理などの機能がある。これらの機能は、執行機関の内部形態を形作る。
又、その目的や機能、状況に応じて組織の形態は変化する。
会議の形態にも幾種類かあるがその典型は、議長、書記、事務局からなるものである。又、委員長形式、諮問機関形式をとる会議もある。又、垂直的な会議と水平的な会議がある。また、同じ会議体でも裁判は、裁判官、検事、弁護士、被告、更に、陪審制度では、陪審員と言うように目的によって違ってくる。
経営組織には、庶務、人事、経理、営業、購買と言った機能からくる形態がある。又、軍事組織には、陸軍、海軍、空軍、司令本部、参謀部、兵站部といったように戦争に対応した軍隊の編成がある。又、軍事組織は、平時と有事と言った状況の変化によっても変わってくる。更に、陸軍には、陸軍の形態があり、海軍には、海軍の形態があり、空軍には空軍の形態がある。兵站部には兵站部の編成・形態がある。
この様に、組織は、目的や機能、状況によって形態が変わってくる。
また、同じ経営組織と言っても組織は、経営目的に応じても組織の形態が違ってくる。例えば、企業と一口に言っても、工場と言った生産組織と販売会社とでは形態が違ってくる。故に、組織を分類したり、設計する場合は、その目的、機能に応じて形態を考える必要がある。
組織は、基本的に人間の集まりである。組織の関係は、人と人との関係、人間関係が基本にあるのである。つまるところ、組織の問題は、人間関係の問題に行き着くのである。
組織は、複数の部分、要素からなる。組織は、集合体であると同時に構造物である。単一の要素では、構造化することができないのである。構造化できないとは、組織化できないことを意味する。
組織を構成するのは、人である。人というのは、自己を持つ。自己を客体化したのが、個人である。故に、個人とは、主体的存在である。主体的存在である個人は、自己の規範に従って行動する。組織には、組織の規則、規律がある。そして、組織と個人は、組織の規律、個人の規範との相克によって成長発展する。組織と個人との間にある緊張感が、組織内部の力を分散し、牽制し、集中して、組織を制御する力となる。
故に、組織内部には、組織の構成員が共有すべき規則と個人の判断に委ねられる規範とがある。ただし、この共有すべき規則と個人に委ねられる規範とは、相対的であり、組織内部の手続によって必要に応じて決定される。
しかし、それでも、個人の価値観に左右される部分が大きく。つまるところ、組織は、その組織が置かれている、社会の文化、環境の支配下に置かれる。
組織には、個としての決定と全体との決定が共存する。組織に構造としての全体があり、個としての存在がある以上、その個人の位置付けが重要になる。組織における位置が、その位置にある個人、構成員の役割を決定するからである。
組織の構成員には、立場がある。立場とは、組織における構成員の立ち位置である。立ち位置、即ち、立場によって構成員の役割、機能は違ってくる。役割が違えば、必然的に権限や責任も違ってくる。受ける指示、命令も違ってくる。又、立ち位置がその人の役割、分担を決める。同時に、その役割や分担によってその人の権限が組織権力から与えられ、同時に責任が付与される。
組織の構成員には、何等かの役割がある。又、役割に従って働き、仕事がある。その仕事は、その構成員の立ち位置、立場によって決まる。それ故に、組織には職位が重要であり、職位によって権限と責任が決まるのである。
個・部分は全体を構成し、全体は、個・部分を統制する。個と部分は、反発しながら引き合う。つまり、部分、部分に働く引力と斥力の均衡によって全体・組織は成立する。
組織の働きには、個としての個人の働きと全体としての組織の働きがある。その働きが均衡するところに組織は成立し、維持される。個人の責任と組織の統制力である。
組織には、一定の単位がある。
人の集合、つまり、集団を、統御、制御するには、規模や範囲に一定の限界がある。その限界によって組織の単位が定まる。この様な限界は、仕事の性格、定型的、単純作業と不定形で複雑な作業と言った仕事の性格や物理的空間、情報的空間の広さにもよるが、一定の限界に達すると集団は分裂して組織化していく。情報的空間とは、意思の伝達可能範囲である。
一人の人間が、集団を管理しようとした場合、物理的、能力的に限界がある。即ち、一人の人間には、管理可能な範囲が限られている。そして、その管理可能な範囲が組織の基本単位となる。
最小単位は、指導者と構成員、ないし、指導者と補佐役と構成員によって構成される。そして、この基本単位の中を作業、仕事、職位、職務によって分業されている。
組織の単位は、会議体、ないし、指導者や管理者といった個人によって接合、繋がれている。
又、組織化された組織の規模にも限界がある。組織は、適正な規模があり、その限界を超えると急速に効率が低下する。
組織には、仕組み、構造がある。この構造には、垂直的構造と水平的構造がある。組織には、垂直的な分業と水平的分業がある。垂直的分業は職位を生み出し、水平的分業は、職務の基となる。
一定の規模、範囲を越えると組織を制御、管理、統制する必要が生じる。その組織を管理、制御をするために生じる分業が垂直的分業である。
管理というのは、組織内部の制御、調整のための手段である。つまり、集団は、自律的な働きをしようとした場合、一定の規模を越えると管理機能が必要となる。
組織とは、過程を形式化、制度化したものと言える。故に、組織に手続と管理は不可欠である。この手続や管理が定型化、文書化したものが事務である。つまり、管理が定型化、文書化した者が事務である。つまり、事務手続は管理の手段である。しかし、事務が形骸化してしまうと、事務の背景となる管理的機能が喪失してしまい、事務は、ただ、単なる記録、担当者の保身、保険、アリバイ工作の作成に堕してしまう。これが手続の形骸化であり、官僚機関はこの傾向に陥りやすい。
水平的分業とは、職務、仕事による分業によって生じる分業である。個人のできる事には、物理的、能力的な限界がある。その限界によって生じる分業を水平的分業という。この様な職務による分業、分担を職務分担という。
人の集合体である組織は、情報系によって繋がれ、関連付けられている。人の集合体である組織には、内と外がある。そして、組織の内であるか外であるかは、組織的な動きによって決まる。組織的な動きをするためには、組織内部全体に、情報が流れなければならない。つまり、組織の構成員は、全て、情報の経路によって繋がれてなければならない。故に、情報の経路によって繋がれていない者は、組織の一員ではない。情報系は、経路と接合点・要からなる。意志決定機構は、この情報の集中点、要に重なる。つまり、組織は、情報の経路と要点からなる。
組織は、基本的にツリー構造をしている。情報や決定は、上位の部分に収束される過程を経て統合される。その為に、意思決定経路と情報経路は、いずれも、全ての経路が結ばれていなければならない。情報経路が結ばれていない箇所は組織的に孤立する。孤立した箇所は情報が伝達されていないことによって組織から疎外され、組織の部分としては機能しなくなる。故に、組織上の全ての部分、即ち、全ての構成員は、情報系によって漏れなく結合されていなければならない。
情報系には、情報を伝達する経路と集中する要、接合点、中心がある。情報が集中する箇所によって組織は、接合される。その結果、組織は、ツリー構造を持つことになる。
意思決定には、中心がある。その中心の他に、必要に応じて幾つかの要素が結びついて部分を形成する。この様にした形成された部分には、その部分の情報が集中する箇所がある。その箇所が、その部分の中心となる。意思決定は、これらの部分の中心を経由する形態を取る。その為に、意思決定は、段階的に部分の中心から全体の中心へと集約されていく。又、この様なツリー構造は、組織に、階層を形成していく。
情報の経路と意思決定の構造は、通常同じ体系を共有している。意思決定は組織的、段階的に行われ、この在り方が組織の構造的体系を決める。
決定には、機関決定と職務決定がある。また、公式な決定と非公式な決定がある。機関決定とは、組織が機関として下す決定であり、職務決定とは、職務にある者が固有権限に基づいて下す決定である。機関決定の場合は、組織全体、あるいは、その決定を下した機関が責任を負い、又、職務決定では、その決定を下した者と、そのものを任命した者が応分に責任を負う。決定は、指示、命令という形で執行機関に伝達されてはじめて有効となる。故に、情報経路と意思決定経路は、共通である場合が多い。
組織は、自律的でなければならない。
組織には、組織を維持、保護しようとする力が働いている。その力には、求心力と遠心力がある。。また、水平的均衡させようとする力と垂直的均衡させようとする力がある。上昇しようとする力と下降しようとする力がある。凝縮しようとする力と発散させようとする力がある。
組織を構成する者には、構成員の一員として派生する、権利と義務、そして、組織上の位置関係から派生する権限と責任がある。
組織の構成員の身分は、権利と義務によって保障される。また、組織の個々の職位、職務は、権限と責任によって保障されている。
人の集合体である組織は、何等かの形で人事評価制度を内在している。人事評価制度は、構成員、個人の成果、適正、能力を人事の仕組みによって配置、地位、資格、報酬に還元する。又、その配置や地位が、権限や責任、権利や義務を派生させる。また、その様な仕組みによって構成員の志気や名誉を高め、組織の統率力や求心力、個人のモラルや忠誠心を向上させる。
権限と責任は、指示、命令の根源となる。つまり、指示、命令の根拠であり、裏付けの権力となる。
個としての人間を制御するのは、モラル、規範の問題である。全体を統御するのは、規律、規則、法の問題である。
モラルがないと言った場合、悪いと知りつつ、行うことを指すのか。悪いという認識を持っていないことを指すのかによってその意味が違ってくる。悪いと知りながら行ってしまうのは、自制心の問題であり、悪いという自覚そのものがないのは、規範の問題だからである。
組織には、組織を維持させるための規則や規律、それを公正に運用するための機構、手続、制度がある。
この手続や、制度によって組織の統制力は裏付けられる。そして、この様な統制力は、組織内部に何等かの権威を派生させ、その権力によって役職、職位が成立する。
公式的な部分で処理できない部分は、慣行、慣習によって処理される。組織や社会には、物理的、精神的に必ず共有な部分と固有な部分とに別れる。共有の部分は、公を形成し、固有の部分が私有である。
組織を維持しようとする機能には、第一に、自分の置かれている状況を認識し、把握する認識機能。第二に、不正、過ちを防ぎ、又、糾す機能。第三に、状況を認識し、部分に対応を指示、伝達するフィードバックする機能。第四に、分析、記憶する学習機能。第五に、将来を予測する機能。第六に、状況に応じて意思決定をする機能である。
組織を維持する機能には、第一に、認識機能、第二に、姿勢制御機能、第三に、フィードバック機能、第四に、学習機能、第五に、予測機能、第六に、意思決定機能がある。
これらの機能を通じて環境に適合し、組織の状態を維持しようとする。
組織を統制制御する、つまり自律的機能をもたらすのは、人事制度であり、規律である。それ故に、人事制度や規律が機能しなくなると組織は、無力化する。この人事の仕組みは、最終的には、賞罰に反映される。飴と鞭という言葉があるが、賞罰の機能が破壊されると組織は無力化する。
組織には、公と私の部分がある。集合住宅における共有部分と私有部分のような区分である。公の部分と私的に許された部分である。この線引きによってて組織の性格付けがかなりされる。
組織は、部分と全体からなる。部分を構成するのは、要素であり、全体は構造である。つまり、組織は、個々の要素の力、作用と構造による関係、力によって維持されている。関係は、個々の要素の相互作用によって成立する。
組織には、自由な働きと平等な働きとが作用している。そして、自由な働きと平等な働きによる作用によって組織構造は形成されていく。どちらかの働きが強くなりすぎると組織の均衡は破れる。自由な働きと平等な働きは、外的な環境、状況からの働きと内部からの要求によって調整される。
個としての作用は、垂直方向の働き、自由に対する欲求を生みだし、全体としての欲求は、水平方向の働き、平等に対する欲求を生み出す。垂直方向への働きとは、個人の向上心であり、水平方向への働きは、仲間意識である。その為に、垂直方向の働きは、組織の推進力になり、水平方向の働きは、組織の団結力になる。
合目的的な機関である組織は、運命を共有する運命共同体である。
組織と組織の構成員は、運命を共有している。これは、肉体と、それを形成する細胞が運命を共有しているのと同様である。しかし、この点に対する認識が多くの人間に欠けている。会社が倒産しても社員の生活に影響がないとか、国が戦争に巻き込まれても国民の家族や生活とは無縁だと本気で信じている、又、信じさせようとしている者がいる。だからこそ、組織体制に対し、常に、反発、抵抗することを善だとするのである。その傾向が、マスメディアや教育界に横溢している。日本のマスメディアや教育界が、戦前、体制に阿(おもね)り、結局、戦争を防げなかったという理由からであるが、彼等は、根本的に間違っている。自らの信念に逆らって、戦争を防げなかったのは、体制に阿(おもね)ったからである。それ以前に自分の信念、志の所在はどこかである。逆に言えば、戦争に負けたから、今度は体制に反対するというのでは、又、大衆に阿(おもね)るのならば、志に反するという点からして戦前と何ら変わりはない。体制に準じるにしろ、又、反対するにせよ、先ず、己の志、信念こそを問うべきである。
我々は、自分が所属する組織、体制と運命を共にしているのである。愛情、忠誠から出た反骨こそ有意義なのであり、ただ、売名行為による反抗は、子供が駄々をこねているのと何ら変わりない。