仕事について



ホームページを外部の業者に委託する事になったのですが、その際、契約してから最低一ヶ月半は見てくれと言われました。
それを聞いて僕は、担当者に言ったのです。
一ヶ月半と計算できるところがプロなのだ。大事なのは、なぜ一ヶ月半かかるのかであってその間の段取り手順、作業仕様を教わるようにと・・・。
プロですら一ヶ月半かかると言っているのに、一日かそこらで片付けようとしている。
そのくせ、いざとなったらいつまでも仕事に着手できない。それは、仕事の段取りや手順を軽んじているからなんですね。
仕事というのは、結局単純な作業が集積されたものです。一つ一つの作業は、意味もない簡単な行為ですがその一つ一つを順序づけ、結びつけ、関連づけると意味が出てくるのです。そして、その一つ一つの作業を根気よく片付けていって始めて仕事は成就する。
仕事を組み立てる為には、総ての作業を漏れなく、重複なく洗い出しておく必要がある。それが根気のいる仕事なのです。

仕事は、スタートラインとゴールを明確に設定しておかなければならない。
いつ始まり、いつ終わるか解らない仕事程、厄介なものはない。
仕事をする際は、ゴールを決めておく必要がある。
仕事にはゴールが必要である。仕事は結果を出さなくてはならない。ゴールがなければ結果は出しようがないのである。第一、ゴールがなければ、結果を測ることはできない。
むろん、結果は最初から明らかなわけではないが、ただ、一定の目標を置かないと結果を出すことができない。又、結果が出たとしてもそれを測定することができない。

ゴールを設定するという事は、スタートライも決めておくという事である。
始まりもなくて、終わりもない仕事なんてあり得ないのである。
ところが、会社を見回すとそのあり得ないことが、よくあるから不思議なのである。
しかし、そのような仕事は最初から破綻しているし、そのような仕事に従事している者はいくらやっても自分の仕事を評価されることはない。
仕事には始まりと終わりがある。
仕事の始まりは、指示(オーダー)に始まり、清算で終わる。

つまりは、仕事の目処や見通しを立てることである。
客にしてみればいつ料理が出てくるのか全く見当がつかないのでは困る。仕舞いには腹を立てて出て行ってしまうであろう。

オーダーを受けるという事は、言い換えると注文を受けるという事である。一見、注文をとるというのは簡単そうに見える。客の注文を聞けばいいのである。ところが、この注文を受ける際に結構トラブルがある。オーダーミスである。
オーダーを聞き損ねたり、オーダーをとる態度が悪かったり、オーダーをとるタイミングが悪かったりするのである。
基本的にオーダーミスをなくす為にオーダーを取り終わった直後に復唱をして確認をするのが作法である。
オーダーは正確に聞いて記録する必要がある。
料理ができてから間違っていましたでは、大きな損失が出る上に、時間のロスが生じる。挙げ句に客を怒らせる危険性もある。最近は、この聞き間違いが多い。基本が失われているのである。

オーダーの受け方の基本は一連の形で覚えさせておいた方が間違いは少ない。

オーダーのタイミングも難しい。すぐに決まる場合もあるし、なかなか決まらない時もある。細かい質問を受けることもある。決まったとしても修正があったりする。
これらの受け答えは予め教わっていなければならない。
注文がなかなか来なかったり、又、いくら客が呼んでも気がつかないなどという事がままある。これでは仕事はスタートを切れない。オーダーこそ仕事の基本である。

明日できるかもしれないが、一年後にもできていないかもしれない仕事では計算ができない。明には間に合わないが一年後には必ずできている仕事でなければ事業は成り立たないのである。

仕事というのは、決めたら終わりではなくて、逆に、決めた時から始まると私は、先輩達から厳しく教わりました。
それは、今の学校で教えている事は、逆で、考えてから決めるのではなく。決めてから考えるのです。というよりも、考えたら決められない。決めるから、止めたり変更する事も考えられるのであり、何も決まっていない事を止めたり、変更する事はできないのです。
例えば、食事の時間を決めたら。その食事の時間に合わせて料理の支度を始めるのであり、食事の時間を決めただけで何もしなければ、食事の時間が来ても食事ができる状態になってはいません。
だから、食事の時間は早く決める。食事の時間が決まらなければ支度にかかれないからです。ところが、決めるという段になるとなかなか決められない。他人に対しては、早く決めて早く決めて急く癖に、自分のこととなるとなかなか決められない。それは決めるという事の意味を正しく理解していないからです。
その時、その時に決めることが違う。食事の時間を決めろと言っているのに、食事を何にするのか解らないから決められないとか、何が食べたいか解らないから決められないとか、いろいろに思惑にとらわれ、理由を挙げるが、その理由は、食事の時間とは関係ないことが多い。決めろと言われてもその時点で、何を決めろと言われているのかをよくよく確認しなければならない。
決められない本当の理由は、自分の不決断、自己都合にある場合が殆どである。決断とは、決して断ずることである。一つを選んで後を切り捨てることそれが決断なのである。
食事の時間が決まったら、食事の時間に食事ができるようにするのが仕事なのです。
だから、食事の時間が決まったら、次に、相手の希望を聞きます。何も料理を作る事だけが、食事の支度をする事ではありません。外食をするのも、店屋物をとるのも食事の支度には違いがありません。最初から決めつけるのではなく、その時その時の状況に合わせて決めていけばいいのです。要するに、決められた食事ができる状態にすればいいのです。仮に料理を作ると決まったら、次に、とのような料理にするかを決めます。
どの様な料理にするのかを曖昧にしたまま、漫然と料理を始めれば無駄が多くなる。無駄な仕事や無駄な出費が生じる。まず料理は何にするのかを決める必要があります。
直前まで何にするのかを明確にしないで仕事をすれば、最後まで自分が何を作っているのか、しているのか解らないままで仕事を漫然とする事になる。必然的に仕事が散漫になり、集聴力を欠く事になる。又効率も悪くなる。必要に応じて、料理のオーダー(指示・命令)をとるように心がける事が求められる。勝手に仕事をしてはならないのです。相手の好き嫌いや食べられないものがあるのかも確認しないで料理を作るのは、単なる押しつけで、自己満足な仕事でしかない。相手の意見を聞いて自分で決める。それが基本です。かといって料理ができてから相手の意見やオーダーを聞いても意味がない。それは厭味になってしまう。
この様に仕事は決断の集積です。一つの事を決めたら、総ての処理が終わったように思い込むのは、重大な錯誤です。逆に言うと、決断を先送りすると作業は幾何級数的に増えていきます。直前まで何もしないと、結局、可能な事が少なくなり、選択肢が狭められる反面、無理が生じます。それがやっつけ仕事や出来合い仕事を増やすのです。また、論理的な思考ができなくなり、過去の仕事を踏襲する事になるので、同じところで同じ間違いを繰り返す事になる。
料理に掛かる前には、総ての支度が完了しているかを確認する必要がある。料理を作り出してから、調味料が切れている事を忘れたり、大切な材料がなかったりしたら、料理そのものが成り立たなくなる。仕事に掛かる前に、仕事ができる状態にする事が肝心なのである。この様に、仕事には、段取り手順があり、それが、幾つかの段階を形成するのです。そして、その都度その都度、確認をすることが求められます。念を入れる為には、上司や第三者に確認を求めることが必要です。
料理には、タイミングが重要となります。料理に掛かっているのに、何を作るのかが決まっていなければ、仕事は、はかどらない。料理ができあがる寸前で下拵えをしようとしても不可能です。砂糖を入れるときに砂糖を入れ、塩を入れるときに塩を入れ、焼くときに焼くから料理はできるのです。砂糖を入れようと思ったときに佐藤が見つからなかったり、又、切れていたら料理はやり直しとなり、それまでやった事や物が無駄になります。又、それまでの努力も水泡に帰します。
仕事には、順序、順番、タイミングがあります。順序や筋を間違えると総ての仕事はやり直しとなります。組織では、組織全体が順番を間違ったところまで立ち返らなければならなくなります。自分勝手な行動は厳に戒めなければなりません。

料理の時間には、最も、最適な状態で料理が出せるように準備しておく必要がある。早く作ってしまえば、料理が冷めてしまうし、遅くなれば、食事の時間に間に合わなくなる。仕事も同じで鮮度が常に要求されている事を忘れてはならない。

料理は、組みあわせや順番が大切な意味を持ちます。組みあわせや順番を間違うと美味しい料理も台無しになってしまう。

どんな美味しい料理でも基本は、単純な作業の組みあわせ、繰り返しです。一つ一つの単純な作業を馬鹿にしたら仕事は成就しません。
優秀な人間は、とかく、周りの人間が馬鹿に見えてしまう。独善的になりやすい。ところが組織的仕事というのは、一人ではできません。というよりも、組織というのは、一人で仕事ができないような仕組みを作る事で成立します。だから、独善的な人間がいると組織的仕事は成り立たなくなる。これは社会的仕事も同じです。特に、指導的立場の人間が独善に陥ると組織は自律性を失っていくのです。その点を十分に留意しておく必要さがある。組織人に要求するのは、他人を受容する素直さと共鳴共感できる感性である。
つまらないところで自分を押し通したり、我を出す癖に、信念や責任を持って自分を主張し、決断しなければならない時に物怖じするようでは、自分の責務は果たせないのである。
一番、重んじなければならないなのは、組織人としての自覚や道義心、信義である。自分が果たすべき役割をキチンと果たさなければ、組織全体に悪影響が及び、場合によっては、事業が、最悪の場合、組織が成り立たなくなるという事をよくよく理解しておかなければならない。

料理を出すのに大切なのは、タイミングです。
冷めた料理を中途半端な時に出されては美味しい料理も台無しです。
熱からず、冷たからず、遅からず、早からずにお客様に供する。それが料理には要求されます。
仕事も同じで、意思決定にを求める場合、決定ができるようにタイミング良く情報を決定権者に提供する必要がある。適時、情報を提供するためには、どの様な情報を、いつ、どこで、どの様な形で提供するかを予め決めておく必要がある。
事が起きてから慌てても遅いのです。そのような仕事を泥縄というのです。

 料理に手間暇かけて多くの時間と労力を掛けても食べるのは、あっという間に終わってしまう。その上、食事の後の後片付けがこれまた大変である。
 料理に掛ける時間や労力は、食事の支度に六分、後片付けに三分。食事に掛ける労力や時間は、一分に満たない。
 だからこそ、料理には、段取りやお膳立てが大切なのである。
 仕事も同じである。段取り八分と言われるように仕事は、事前にあらかた終わってなければ成就しないのである。
 料理は食べる楽しさだけではない。作る楽しさもある。そして、できれば後片付けの楽しさも覚えたら、料理に掛かる精神的負担は、随分と軽くなるのである。本当の楽しさは、作る楽しさ。作った料理を美味しそうに食べてもらい事の喜び。一緒に後片付けをする時の語らいにこそあるのである。

何を食べるのかも決めずに料理に掛かれば、効率も悪いし、無駄も多い。何を食べたいのか、何を作るのかを最初にはっきりさせておく事が肝心なのである。何事も最初が肝心。決断が大切である。





                content         


ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2013.06.08 Keiichirou Koyano