統制について



 戦後教育を受けた者の多くは、指示、命令は悪い事、規則も悪い事と教えられ、躾られている。特に、教育者を中心にこの思想は根強くある。
 最近では、小学校では、号令や合図、予鈴すら許されなくなっている。指示、命令に従わないのは、権利だとも主張されるようになった。
 なぜ、指示、命令は、悪いのかの理由は、軍国主義的である。封建的である。権威主義的である。全体主義や独裁主義、集権主義に繋がる。統制的である。強圧的である。強制的である。自主性を重んじていない等である。
 しかし、これは、指示、命令がなぜ悪いのかの答になっていない。なぜならば、組織は大なり小なり、指示、命令によって動いているからである。指示、命令を否定すれば、組織を制御する事が出来なくなり、組織は、暴走するか、解体する。

 指示、命令は、漏れなく、重複せず、全ての要件を満たさないと作業には移れない。この点が重要なのである。詳細、細部に至るまで指示することが要求される。

 一見どうでもいいような処を少しずつ変えたり、また、適当いい加減にしたり、疎かにしたり、曖昧にするとそこから、仕事全体が変質し、最悪の場合破綻してしまう。
 この事は、仕事のみならず、組織や社会全体にも言える。
 蟻の一穴と言うが、細かい配慮が欠けその為に、全体が破綻するという例が増えている。

 命令や統制に強固に反対した連中はどうかと言えば、彼等は、命令や統制の重要性を熟知している。熟知しているからこそ反対したのである。

 今、国家の中枢にいる者の多くは、反体制や反権力の権化である。自分達が権力、権威の中枢にいることの自覚もない。

 組織は、指示命令で動いている。指示、命令をしなければ組織は動かなくなる。そして、組織は、機能しなくなると自然に解体してしまう。組織は指示・命令によって統制されているのである
 又、統制を否定したら、組織を制御する事は出来ないのである。
 社会は何等かの組織を基礎として成り立っている。
 つまり、統制がなくなれば、社会は成り立たないのである。



前略 私は日本人です。一人の日本人として、日本の歴史、文化を護っていきたい。その思いで一杯です。
そして、自分の会社でささやかですが、日本の文化、伝統を取り戻していきたいと考えています。それが第一歩だと思うからです。
それは、日本の独立を護ることに繋がると信じているからです。
だから、私は、我が社の文化、伝統は譲れない一線なのです。

日本の植民地化は、いよいよ、最終的段階に入ってきたと思います。
植民地化なんて、つまり、日本人を飼い慣らすなんて、真っ向から日本を否定するような処からはいってはきません。
日本人の生活様式を徐々に侵蝕していくことから始まったのです。
重要なのは、権威の失墜です。
そして、日本の植民地化は、総仕上げの段階に入ってきたと言えます。

日本敵対する国が是認し、日本を護ろうとしている人間が肯定している事を頭から否定するのは危険だと思います。典型的なのは歴史問題や官僚批判です。
官僚は、問題意識も高く、尚かつ、優秀な人間が集まっています。一時は、左翼思想に毒されたとはいえ、その本質は変わっていないと思います。

普段日常的、一見どうでもいい些細だけれど、日本の文化の核心をになっているところを少しずつ変えることで、日本文化の本質を変質してしまう。有り体に言えば、形式です。
立ち居振る舞い、言葉遣い、礼儀作法を変えることで、日本人の思考回路を変えてしまう。形を変えろ、それは、洗脳の常套手段です。
権威を維持しつつ、権威者の名の下にその国の文化の権威を貶めていく。
それこそが異民族統治の鉄則です。

結婚式の仕来りも変質してしまった。
結納もしなくなり、仲人も居なくなり、神前結婚式から教会に移り、今は人前結婚式に変化しつつある。この変化の意味を誰も考えようとしない。

風俗習慣を変え、行動規範を変え、生活様式を変え、言葉や、服装を変え、そして、最後に憲法、法を変える。経済を支配し、政治を徐々に傘下に入れていく。日本人の心底にある価値を変えなければ、日本人を支配することは出来ません。
特に、日本人の自尊心、誇りを失わせることです。
誇り高き民族を隷属させることは出来ません。
誇り高き民族は、常に自由を求めるからです。
この世界には、自由人か、奴隷しか居ない。それが白人の考え方です。

植民地化が最終段階に入ってきた証左に公用語を英語に変えてしまった企業が表れてき凧とがあげられます。言葉と名前は、民族独立の象徴です。
言葉も名前も自由に選べなくなることは、奴隷化の始まりです。
むろん、歴史の改竄は、当然で、塗り替えに近い部分すらあります。
ここで歴史問題をとやかく言う気はありません。ただ、なぜ、日本人は、無謀とまで思われる戦争をしなければならなかったのか。そこにこそ、父母の秘められた思いが隠されているのです。

又、我々の父祖が護ってきた礼儀作法、仕来りは失われました。
無意味な風俗習慣はありません。伝統には、それを守ってきた人々の思いや考え方が籠められているのです。
正月は、お年玉だけを残し、日本古来からの風俗伝統は失われてしまいました。それに代わってクリスマスがキリスト教国以上に派手になっています。
日本の風俗習慣は失われ、主旨国の風俗習慣が取って代わろうとしています。
他国の軍隊に多額の資金を提供し、その資金がなければ、その国の軍事行動に支障をきたすというのに、その事の意義を何も気がついていない。

侵略は、巧妙で、日本人の手で、日本を売り渡すように仕向けられているのです。
原発がいい例です。
日本人は駄目だ、アメリカでなければ、もう、原発のことは、しかるべき国に委せなければ、安心できない。そう、日本人に思い込ませれば成功なのです。
日本の官僚や政治家は駄目だ。日本の行政や政治は、しかるべき国に任せよう、そう日本人が思い込み始めたら、日本の植民地化は最終段階にはいるのです。
大切なのは、日本人としての自覚です。

国家は、国益の為に動くのを目的としているのです。他国の利益のために動くのは、自国の国益に合致しているときです。
つまり、自国以外は全て敵なのです。他国の良識のある諸国民などあてにするのは愚かです。良識のある諸国民こそ国益のために動くからです。第一に、世界は国民国家だけではないのです。独裁主義国も、全体主義国も、君主国もあるのです。

根本的な理念を飛ばして実務的なところから入っていくのに抵抗があるのは、日本人に対する洗脳を目の当たりに見ているからです。
先ず、何を信じ、何を為そうとするかです。
だから、我々の関係は、体系的、論理的に組み立てるべきだと考えています。
一番、大切なのは、自分の事業を国に対してどう役立てるかです。その根本を確かめたいのです。

何も大上段に歴史問題を語ろうとは思いません。
日本人が大切に護ってきた日々の生活の有り様を取り戻したいと考えているだけです。
日本には、四季折々の儀式や祭礼がありました。
それを我々は頭から迷信と否定し、悉く破壊してきました。その結果が今日の体たらくです。
何よりも日本を愛する事、祖国を愛する事です。
日本人として、自分達の事業を愛しているかと言う事です。

大切なのは、日々の仕事を通じて祖国を守ることです。
それは、官僚、民間人の別はありません。
何がこの国にとって大切なのか、護らなければならないのか、それが根源的な尺度なのです。                                                 草々
平成23年12月30日



 統制には自律的統制と他律的統制がある。組織がその真価を発揮するのは、自律的統制である。
 自律的統制とは、双方向の働きによる統制を意味し、他律的統制とは一方向の働きによる統制を意味する。

 人間というのはおかしな動物で、他人に言われたとおりに行動する事を忌避する。それで失敗する。その被害が個人で留まればいいが、大概は、他人に被害が及ぶ。それが組織の一員だったら、組織全体に重大な被害を及ぼす事もある。最悪、組織が瓦解する。そうなると組織は、構成員一人一人を従えようとする。それが統制である。
 なぜ、人は、他人のいう事に従うのを忌避するのかというと主体性、自律性が損なわれると錯覚するからである。これは明らかに錯覚である。ただ、他人の決めた事に無条件に従おうとしてもその意思決定のからくりが理解できないと自分のものとする事ができない。だから、頭では理解していても体が他人の決定に従う事を拒否するのである。故に、他人の決めた事に従う事は、自分の主体性や自律性を損なう事だというのは錯覚ではありが、まんざら、根拠がないわけではないのである。
 他律的統制というのは、組織の構成員にとって外形的な意思決定である為に、意思決定の過程を自分の内部に取り込む事ができず、ただ、指示に従うしかない状況を作り出す可能性が高いのである。
 自律的統制とは、組織の構成員一人一人の内的規律に働きかける事によって一人一人の意思で組織に従う様にしむける事で成立する。

平成24年6月6日





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そして、組織は、機能しなくなると自然に解体してしまう。