親父が逝った
四月一九日。親父が逝った。
享年、九十一歳。
大きな客船が波止場に接岸する時の様に、
静かに、静かに、息を引き取った。
一人、病室を訪ね。
「親父、親父。」と声をかけたら、
うっすらと目を開けて
「嗚呼、よく寝た。」と呟いた。
「どう。」と聞いたら、
「疲れた。」と父は、応えた。
「そんなこと言わずに頑張ろう。」と言ったら
親父は、「頑張っても駄目なものは駄目なんだ。」と
目に涙を溜めて哀しそうに言い返す。
それを聞いて、私は少し狼狽えた。
それが、私に聞き取れた最後の言葉。
最後の日は、ずっと親父の手を握りしめていた。
すると親父は時折握り返してくる。
最後は、親父らしく、
孫の輝一が来るのを待ち、しっかりと手を握りしめ。
母と、私と私の妻と貴光と、そして、輝一が談笑しているのを邪魔しないよう、
誰にも気づかれない内にそっと旅立っていた。
夜、立つと聞いていたのに、まだ明るい内に何も言わず父は、去っていてしまった。
涙は出ないが、
情けないことに言葉がでない。
親父のいない世界なんて考えられない。
私は、親父が好きだ。今でも・・・。
良い親父だった。
親父と仕事ができた事は私の誇り。
本当に幸せだった。
それに引き替え私は、いい息子だったのかなと思う。
手助けをするどころか、苦労ばかりをかけてしまった気がする。
親孝行のようなことも何もできなかった。
小谷野孝次の息子だと言う事は、私のこれからの生き様によって証明していかなければならないと思う。
父のやり残した事業、成し遂げられなかった遺志を引き継ぎ。
そして、遺された母と家族を渾身の力を持って守り抜いていこう。
どうか、非力な俺に皆の力をかして欲しい。
親父に会いたい。
親父の声を話や歌が聴きたい。
声が聞きたい。
それも叶わぬ夢になってしまったけれど、
それでも尚、いつか又、きっと親父に会えると信じて生きていこう。
棺に蓋を覆う時、
生前、録音しておいた親父が歌う
裕次郎の「我が人生に悔いはなし」のテープを輝一が会場に流した。
期せずして参列者が声を合わせ合唱してくた。
親父は、辛気くさいことが大嫌いです。
だから、三本締めでおくることにしました。
親父、親父、ありがとう。
親父・・・。
父が私達に遺してくれたのは、未来だと私は、思う。
だから、父をいつまでも記憶の中に残し、前向きに生きていきたいと思う。
父は、今でも私の心の奥底で微笑んでいる。
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