自分ってなあに


自分というのは主体的だという事


決める自由。

私は、子供の頃、よく考えてから決めなさいと教わった。
しかし、これは間違いだと、
ある時、気がついた。
決めてから考える。
考えたら決められなくなる。
やると決めるから
その後、止める事も改める事も決められるようになる。
決める前に考え込んだなら何も決められなくなる。

決断するから自由になれる。
決断できない者は自由になれない。
決断力ない者は自由になれない。

決断とは、決して断じる事。
未練を断ち切る事。

好きが嫌いかをハッキリ決めろ。
好きか嫌いかをハッキリすれば、嫌いな奴を好きになることも出来る。
好きか嫌いか、曖昧なままでは、好きにも嫌いにもなれない。

言い切れ。
好きなら好きと宣言しろ。
失恋するなら失恋しろ。
そして、学べ。
自由になりたければ自分が傷つくことを怖れてはいけない。
臆病になるな。

決断をするから自由には責任が伴う。

信じるか信じないかは、自由。
従うか、従わないかは自由。
愛するか愛さないかは自由。

信じようと、信じまいとその結果に対しては自分が責任をとる。
神を信じる者に神はいる。
神を信じない者に、神はいない。
神を信じない者は、神に救いを求めるな。
友達を信じる者に友達はいる。
友達を信じられない者は友達ができない。

自分が従わないことで闘わざるをえなくなれば、闘うしかない。
それが自由。

自由を愛する者は、潔くあれ。
そして、自らの責任から逃げるな。

他人の性にするな。
自分の行動には、責任を負え。
責任をとれ。
それが自由の鉄則。

行動をする前に決断をしろ。
やってから決めるのでは卑劣だ。
決めてからやる。
だから責任がとれる。

子を成したから愛するのではない。
愛するから子が出来る。
先ず愛せよ。そして覚悟せよ。それが自由。

己(おのれ)の行動に責任を持て。それが自由。
他人の性にするくらいなら、自由なんて望むな。
さもなくば、責任を負わなければならなくなった時、他人を怨むことになる。
それでは不自由だ。
自由恋愛というのは、禁欲的で厳しい。
愛する者を最後まで護れ。それが自由。

克己復礼。それが自由。

決断できない者は曖昧な生き方しかできない。
それは不自由である。

自由には責任が伴う。

自分というのは、主体的なものです。
客観的にはなりません。
人間は、客観的判断と言う事はできません。
客観的な判断というのは、自分以外の人の判断です。
だから、自分の感性を磨く必要があるのです。
決断には、第一感が、大切なのです。第一感を研ぎ澄ますのです。

冷静に、客観的、理性的、合理的な判断はできない。
決断というのは、不合理なものです。合理的に考えたら、決断はできない。
なぜなら、人間の認識には、限りがあるからです。現実には、限りがない。
そのうえ、人間の認識は、不完全で、相対的、不確実なもの。
つまり、人間がわかる事なんて曖昧なものなのです。
限りあるもので限りないものを判断しようとすれば、どうしても曖昧なものが入り込む。
だから、人間の判断は、不合理なものに、ならざるをえないのです。

あなたが好きな人は、あなたが好きな人。
あなた以外の人がどう思おうと関係ない。
好きになったら、おしまいさ。
だから、自分の好きな人を大切にしよう。
なぜ、好きなのか。理屈で好きになるわけではない。
先に論理があるわけではない。
好きだから好きなのだ。
始めに、決断があって、それから理屈を考える。
自分ってそういう存在。

あなたが人を愛する時、その人を他の人が愛する事はできても、
あなたに代わって、その人を、あなた以外の人が、愛する事はできない。
あなたの愛は、あなたにとって、たった一つの愛なのです。
それは、掛け替えのない愛なのです。

あなたの夢を実現するのは、あなた。
あなた以外の人が、夢を実現しても。
それは、所詮、他人の夢。
子供が親の夢を実現したとしても、それは、子の夢。親は、親の夢。
同列には語れない。

諦めてはいけない。
あなたでなければ、あなたを生かすことはできない。
あなたが諦めたら、あなたは生きられない。

あなたにしか、あなたを許すことはできない。

自分の人生なんだから、自分で決めろ。
そして、自分で責任を持て。
それが、自由の大前提。

自由の前提は、自主独立。
自治、自制が自由の前提。
自立していない者に自由はない。
自分を抑えられない者にも自由はない。

あなたが望まなければ、あなたは、幸せにはなれない。
自分が幸せではないからと言って、人を羨んだり、責めても、何にもなりません。
あなたが望まないかぎり、あなたは、幸せにはなれないのです。
あなたの不幸の種は、あなたが、蒔いているのです。

望まなければ、幸せにはなれない。
でも、望まなくても、不幸の種を蒔くことはできる。
だから、幸せは、望まなければなれないけれど、不幸は、望まなくてもなれるのです。

だから、自分がやっていることや、言っていることは、自分が責任を負うしかない。
誰も責任をとってくれないよ。
だからといって、切腹したら、自分に申し訳ない。自分に責任をとれない。
だから、悔い改めよう。
自分とは、そういう存在。





                content         


ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2009.09.4 Keiichirou Koyano