閣議型会議というのは、所謂(いわゆる)、司令室型の会議である。つまり、出席者が何らかの部門の代表者、ないし、責任者で何らかの権限と責任を有している会議である。そして、多くの場合、会議の議長は、決定権を有している。
この種の会議は、会議そのものが組織だったり、組織の一部だったりする。組織は、情報系である。そして、閣議型の組織は、情報系の一部、つまり、何らかの組織の端末的機能を果たしている。
組織的会議の中には、会議と会議の間に何らかの作業が挟まれている会議がある。この手の会議は、一つの会議で構成されるのではなく。複数の会議、少なくとも、二つ以上の会議が組み合わされて一つの過程が成立している。
組織的会議の機能は、均一な情報を同時に複数の相手に伝えられる、又は、処理できることにある。
閣議型の会議では、出席者の裁量の範囲が重要になる。また、出席者の職権が会議の性格を決める。
また、決定方法も採決よりも決済、一任が多い。それ故に、会議の本質そのものが議会型の会議とは違ってくる。
この様に会議は、その目的や機能、形式によって全く異質なものになる。ところが、多くの人は、会議は、会議として一括りに考える傾向がある。その為に、会議の機能が有効に発揮されない場合が多い。会議の基本的設計ができないのである。
閣議型の会議は、一人の指導者、ないし、決定権者が中心になって開かれる。指導者、決定権者が議長、あるいは、司会を兼ねる場合と兼ねない場合とがある。
議事を司るものが首長型か、議長型かによって、会議の性格が異なってくる。
首長的な会議は、議長以外に強い指揮権、決定権を持っている指導者がいる。まあ、この指導者が議長を兼務していることはあるが、ただ、職務上は、別個の職務権限を有している。そして、議案の実質的決定は、この指導者が決済、ないし、一任されている。また、議長型の場合は、自分は、議事運営以外の決定権を持たず、調整役に徹する。この様な役割の違いは、必然的に会議の性格を違える。
会議の構成員の立場や権限によって会議の性格は異なる。また、組織内における会議の位置付けによっても会議の性格は違ってくる。
閣議型の会議は、幹部会議や管理職会議、担当者会議のように横断的、階層的な性格の会議と部門別会議のように縦断的な会議がある。
この様な違いは、出席者の組織内での位置付けや権限による。
閣議型の会議では、決定権者は、極力、主管部署の人間に意見を具申、発表させる。なぜならば、出席者は、直接、決定権者に反論しにくいからである。決定権者は、積極的に反論を出席者に促し、発表者、意見具申者は、誠意をもって応えなければならない。また、意見を具申、発表して者は、感情的に反論を制したり、力で封じ込めるような言動、行為を控えなければならない。そして、一度決定が下されたら、それに従わなければならない。判断は、多くの意見を聞いて、決断は、自分の意志で行う。
決定権者が明らかな場合、規則や議事の進行上の問題、決定権者が明らかでないという特殊な場合を除いて、多数決や全会一致による採決がとられる必要はない。むろん、決定権者が多数決を要請することは可能である。しかし、その場合であっても、多数決による決定に、決定権者は従わなければならない義務はない。一般に閣議型の会議は、ワンマンなものであり、また、そうでなければ決定は下せない。
我々が仕事をしていく上で最も接する機会が多いのがこの閣議型の会議である。しかし、世間一般で会議と言われて思い浮かぶのは、議会型の会議である。この認識ギャップがいろいろな障害を引き起こすことになる。
多くの日本人は、組織を理解していない。また、極端な組織嫌いがいる。組織に対する偏見や先入観がある。
組織とは、違い、即ち、差を前提としている。その為に、民主主義的な会議というと、即、議会型の会議を思い浮かべる者が多い。しかし、閣議型の会議も民主主義には欠かせない会議の形態である。
なぜ、民主主義というと議会型の会議かというと、会議の出席者が同等の権利や権限を持つ場合が多いからである。つまり、平等なのである。だから、民主的だというのである。それに対し、組織的な会議には、権限や役割に違いがある。つまり、差があるのである。
しかし、閣議型の会議も平等である事には違いない。ただ、権限や役割が違うのである。閣議型の会議は、権限と責任が明確なだけである。民主的であるか、否かは、その権限と責任の由来が何処によるかにある。
会議というと、議論、討論、話し合いの場だと思っている者が多い。しかし、会議は、議論、討論、話し合いを目的とした場ではない。会議は、情報の処理を目的とした場なのである。
議論を目的とした会議はある。しかし、それが会議の全てではない。むしろほんの一部である。
閣議型の会議と議会型の会議は、目的も機能も違う。閣議型のは、会議の構成そのものが組織を反映したものである。反映したものと言うよりも組織そのものと言っても良い。少なくとも、出席者は、組織の端末を担っている。だから、閣議型の会議では、出席者の裁量の範囲が、会議の性格を決定付ける。
後で述べるが、裁判型の会議は、意思決定と言っても、議会型や閣議型と違って、判定型である。その他に、討論を目的とした会議もあれば、教育を目的とした会議がある。目的が違えば、会議の形式からして違ってくる。
故に、要求される目的や機能によって会議の型をどうするか決めるべきなのである。ところが、漠然とした会議に対する認識が先行し、結局どっちつかずで性格が曖昧な会議になり、本来の目的も機能も果たせない会議になることが多い。会議に対する認識が確立されていないからである。
閣議型の会議と議会型の会議の違いは、取締役会と株主総会の違いによく現れている。
ルール・規則や人事を議会型の会議で定め、具体的な施策を閣議型の会議で決める。そして、裁判型、司法型の会議でその執行を監視する。それが民主主義である。一つの会議の在り方だけで民主的か、否かの結論は出せない。
民主主義の在り方は、会議の設計や組み立てによって違ってくる。一概に議会型の会議は、民主的で、閣議型の会議は、非民主的、専制的だと決め付けられない。それは、会議の役割や目的によるのである。また、民主的であるか、否かは、会議の運営の仕方や会議の組み合わせによって左右される。議会型だから、民主的、閣議型だから非民主的とは決め付けられないのである。