一は二となり、三を生む。最初の一は、存在の一。存在の一は、自己の一と対象の一となり、二となる。自己と対象とは一対一の関係を形成し、単位の一を作る。自己と対象と単位が三つの働きをもたらす。働き、運動と作用と反作用からなる。
人は、自分を鏡に写して自分を知る。それが写像。意識は、対称性の中にある。
経済数学で重要なのは、対称(symmetry)、比率(proportion)、調和(harmony)、波動(rhythm)、反復(repeat)、均衡(balance)、統一(unity)である。
中でも、会計においては、対称性と均衡が核となる要素である。
会計上の正負が生じるのは、認識の作用反作用による。主体的存在は、運動を二つの方向の働きとして認識する事によって運動の働きを解析することができる。複式簿記はその典型である。対象の運動に二つの働きがあるのではなく。認識上、二つの働きを想定するのである。
そして、二つの働きが均衡していることが前提としている。
二つの働きの均衡は、前提となるのではなく。前提とするのである。
貸借の対称性の本源は、取引の対称性にある。
取引の対称性は、経済上の作用反作用の関係を発現させる。
一方に家を欲している消費者がいるというのに、他方に家を売りたがっている業者がいる。仕事がなくて困っている大工がいる。一方に家が不足していてながら、もう片方で家が余って壊している。
貨幣や物が上手く循環していない。物や貨幣を分配する機構、仕組みが機能していないのである。
貨幣と物の配分の対称性が保たれていないことに原因がある。
市場取引は、売り手と買い手がいて成り立つ。欲しい土地があったとしてもその土地の保有者が土地を手放す意志がなければ、売買取引は成立しない。売る者がいて購入という行為が成り立ち、買い手がいて、売るという行為が成り立つ。売り買いは一人では成り立たないのである。そして、売り手と買い手の存在は、所有権によって成り立つ。貸し、借りも同様である。
市場取引が成立する以前は、暴力的手段や強制的手段によって土地の交換はされていた。近年でも地上げは社会問題になった。
市場経済は、私的所有権と表裏の関係にある。自由経済は、私的所有権によって裏付けられてはじめて成立していると言ってもいい。
市場経済や貨幣経済の発展を考える上では、分業が鍵を握っている。市場経済や貨幣経済は、分配の手段として交換を前提としているからである。交換がなければ、市場経済も貨幣経済も成立し得ない。そして、分業が交換を促しているからである。
自給自足体制では、貨幣も市場も機能を発揮することはできない。自給自足体制では、交換という行為はあったとしても市場や貨幣を介する行為なのではなく、共同体内部の力関係に依存する行為だからである。
分業は相互依存関係を生み出す。相互に相手を必要とする関係にしてしまう。売り手は、買い手があって成り立つ概念であり、貸し手は、借り手があって成り立つ行為である。逆も言える。買い手は、売り手があって成り立ち、借り手は貸し手があって成り立つ。この様に交換を前提とした経済行為は、鏡像関係にあり、これが複式簿記の前提となる。
それが売り手と買い手の表裏関係を成立させた本質的な要因なのである。この事によって売りと買い、貸しと借りは、均衡を前提とする。
複式簿記では、貸しと借り、売りと買いが均衡するのは、前提となるのではなく。前提とするのである。
この事が端的に現れるのが為替取引である。
経済関係というのは、鏡像関係にある。経常収支と資本収支の関係は、不思議な関係なのだ。
経常収支と資本収支は均衡する。この関係は、言い換えると、物を売って、金を買う。物を輸出して金を輸入する。
基軸通貨制では、基軸通貨国は、経常赤字を出しながら、基軸通貨を国際市場に供給する。供給された基軸通貨は、外貨準備として蓄積されると同時に、相手国の通貨を供給を増加させる。
供給された資金は、資本として基軸通貨国に逆流する。この様にして経常赤字国と経常黒字国の関係は、切り離せなくなる。つまり、経常赤字国と経常黒字国は表裏の関係となる。
貸借が対称することで景気に陰陽、正負、名と実が生まれる。また、生産と消費とが結びつき、引力と斥力の働き生じる。また、貸しと借り、売りと買いの別が生じる。
取引が一人では成り立たないように、競争も、相手があって成り立つ行為であり、一人では成り立たない。競争も相手があってはじめて成り立つのである。一人でやるのは、記録であって、競技ではない。
競争は、統一的な場があって成立する。スポーツが、人為的に設定されたルールによって一様な力が働く場において成立するのと同様である。
市場が競争を前提とするならば、スポーツのフィールドのように一定で一様な力が働いている場を想定する必要がある。
この様な場は、何等かの境界線によって任意に範囲が特定されている空間でなければならない。
経済の乱れは、対称、比率、調和、波動、反復、均衡、統一の乱れとして現れる。そして、対称、比率、調和、波動、反復、均衡、統一は相関関係にある。
経済制度というのは、基本的に、相互牽制と均衡の仕組みである。相互牽制と均衡が市場の働きを規制し、産業の構造の重要な要素なのである。
この様な相互牽制や均衡の仕組みは、経済量を表す数直線を比較することで解明することが可能である。
貨幣単位は、数直線で表される。貨幣価値は数直線で表される。価格構造は数直線で表される。収益構造は、数直線で表される。費用構造は数直線で表される。
数学の重要な特性の一つが視覚性と操作性にある。つまり、目に見えて操作できる点にある。
この視覚性と操作性は、対称性に対して重要な意味がある。
対称性というのは、いたるところで見られる。対称と均衡は、調和に深く関わり、それは数学的美学にまで昇華されている。しかも、対称性があるから非対称性が問題となり、均衡があるから不均衡が問題となるのである。
対称性が問題となるという事は、当然、非対称性も問題となる。特に、対称性に潜む非対称性の問題が重要となる。
会計というのは、対称性と非対称性の相関関係の問題とも言える。
自然界の対称性が自然の法則に基づくならば、人間の社会の対称(symmetry)は人間の意志に基づいている。意志の本源は認識である。人間社会、特に、経済の対称性は人間の認識の在り方によるのである。
自己は認識主体であると同時に間接的認識対象である。つまり、人間は、自己を対象に投影しなければ認識する事ができない。つまり、自己を対象に投射し、写し出された像を認識する事によって自己の意識を形成する。この在り方によって写像関係と鏡像関係が成立する。
この関係は、自己と対象との間に一対一の関係と作用反作用の関係を生み出す。この関係が人間の意識の対称性の原点となるのである。
経済の対称性は会計制度に結実する。今日の会計制度は、複式簿記と期間損益に上に成り立っている。この複式簿記と期間損益は、対称的であるが故に均衡し、調和することが可能なのである。
時間的対称性は、単純反復繰り返しという形で現れる。
会計業務をはじめ業務はこの時間的対称性がある。それが定型化、標準化の根拠となる。
時間的対称性が期間損益における単位時間の根拠となる。
単位期間を設定することによって時間の働きを陰にすることができる。
一定期間を単位とした場合の経済的価値には、期間損益と現金収支の二つがある。
期間損益は、収益−費用から求められ、現金収支は、収入−支出によって導き出される。
損益と貸借を区分する基準は単位時間である。
会計は、対称(symmetry)、比率(proportion)、調和(harmony)、波動(rhythm)、反復(repeat)、均衡(balance)、統一(unity)によって保たれている。
会計空間はベクトル空間である。
会計は、自然数の集合である。
会計は、群である。
会計は、有限体である。
会計は、斜体である。
会計の元は、勘定である。勘定は、取引の結果、生じる。
勘定は、類(class)を構成する。
勘定は、資産、費用、負債、資本、収益のいずれかに属する。
言い換えると、個々の勘定は、資産、費用、負債、資本、収益の類を形成し、いずれかに属する。
又、勘定は、貸方、借方いずれかの領域に属する。
資産、費用、負債、資本、収益は、会計の部分集合である。
資産、費用、負債、資本、収益は、会計の部分体である。
会計は、資産、費用、負債、資本、収益の有限次拡大体である。
会計は、同次性と線形性を持つ。
勘定は、線形独立である。
会計は、勘定の数だけ階層を持つ。即ち、会計は、勘定の数だけ次数がある。
資産、費用、負債、資本、収益は、類を構成する階層の数だけ各々階層を持つ。資産、費用、負債、資本、収益は、類を構成する勘定の数だけ階層を持つ。
取引は、要素を勘定に分解され、類別される。
勘定は、取引が成立した時点で貸方の領域と借方の領域に分類される。
取引が成立した時点における取引を構成する貸方勘定の総計と借方の勘定の総計は等しい。
貸方の領域の勘定の総計と借方の領域の勘定の総計は、等しい。
期中における勘定の計算は、常に同一の勘定間で行われる。
勘定には、正の領域と負の領域がある。
個々の勘定の残高、即ち、総和は、常に正の値をとる。
資産、負債、収益、費用の総計は、常に正の値を取る。
現金と貨幣価値とは別の物である。
現金と貨幣価値とは違う。貨幣価値が表示されているからと言って現金が存在するわけではない。又、貨幣価値が実現しているわけでもない。あくまでも、取り引きによって一定の貨幣価値が実現した実績があることを、過去の実績を意味しているのに過ぎない。それが取得原価主義である。
現金とは、貨幣価値を実現した物である。貨幣価値とは、現金の移動に伴って発生する債権、債務であり、残存価値、或いは、潜在的価値を言う。そして、貨幣価値は、物や権利と言った貨幣の外部にあって貨幣と結び付けられることによって成立する価値を言う。
資産価値とは、取引が成立した時点に実現した価値と同等の価値があると仮定された価値である。
資産は、債権を形成する。即ち、資産は、債権の集合である。
資産は、流動資産と固定資産、繰延資産に分類される。
流動性資産は、貨幣性資産と非貨幣性資産に分類される。
固定資産は、物の集合と一対一に対応している。
資産は、債権を形成する。故に、物と債権は、一対一に対応している。
固定資産は、費用性資産と非費用性資産に分類される。
費用性資産とは、償却資産である。
負債は、期限によって性格に違いがある。超長期的働きは、資本に転化する。
取引は、取引が成立した時点で同量の債権と債務、現金の動きを発生させる。現金は、取引によって現金は流れることによって効力を発揮するのであり、一部を除いて残留はしない。残留する現金は、準備資金である。残存する価値というのは、現金の動きに伴って発生する債権と債務である。
取引は、正の勘定と負の勘定からなる。一つの取引を構成する勘定の総和はゼロである。
正の勘定とは、現金勘定に対して正であるか、負であるかによって判定される。
又、勘定は、貸借勘定と損益勘定に区分される。貸借勘定を構成するのは、資産と負債、資本である。損益勘定を構成するのは、収益と費用と利益である。
貸借勘定は、一定時点における残高を意味し、損益勘定は、単位期間内に実現された取引を意味する。
貸借勘定において実際に残高を集計されるのは、資産と負債であり、資本は差額勘定である。また、損益勘定で取引を実現するのは収益と費用であり、利益は差額勘定である。
その上で、貸方と借方の過不足は、資本と利益によって調整される。
資本は、貨幣の素である。資本は貨幣価値である。
資本勘定は、中立的勘定であり、正負、いずれの値をもとる。資本勘定は、特殊な勘定である。
資本勘定は、元本と利益からなる。資本は、事業の始点の位置を示す。
資本勘定は利益と資本からなる。
更に、勘定は期間損益を計算するために、通常取引勘定と決算処理勘定に分類される。この決算処理勘定は、キャッシュフロー勘定に関係する。
勘定には、名目的勘定と実質的勘定がある。名目的勘定であるか、実質的勘定であるかは、勘定が実体的裏付けを持っているか否かによって判定される。実体的裏付けというのは、物としての実体の有無である。何等かの権利や計算によって派生した勘定を名目的勘定とする。固定資産は、資産という裏付けを持つから実質勘定である。それに対し、債務は、支払義務を意味するから名目勘定である。有価証券は、権利を意味するが、証券という実体を持つから実質勘定である。
利益とは、差額勘定であり、実物勘定ではない。つまり、利益に実体はない。
勘定においては、対称性が重要な鍵を握っている。
勘定の対称性は、取引が一対であることにある。そして、取引が内向きな方向の勘定と外向きの方向の勘定とから成ることにもよる。
取引が一対であるとは、例えば売りと買い、借りと貸し、入金と出金、債権と債務と言ったように同じ行為が場所と方向によって受動的な行為から能動的な行為に変化することに割る。また、内と外とは、同じ手形でも受取側から見れば受取手形になり、支払側から見ると支払手形になるといった点である。
又、この様な対称性は、非対称性の素にもなる。例えば売掛金と買掛金の差、受取手形と、支払手形、資産と負債の差である。
この対称性と非対称性が経済変動の根底を成しているのである。
又、対称性には、短期と長期、固定と変動の間にも見られる。例えば、長期借入金、資本と固定資産、短期借入金と流動資産、ここにも対称性と均衡の問題が潜んでいる。
この対称性と均衡とは、構造の下地となる。対称性と均衡、比率、統一性によって構造の基礎は築かれ、波動、反復という運動によって構造は形作られていく。
対称であるか、ないかが問題なのではない。同様に均衡しているか、いないかの問題ではない。会計的には、対称であり、均衡しなければならないのである。
会計というのは、測量の技術の一種である。
会計というのは、数量化が可能な一局面の表層を捕捉しているのに過ぎない。
為替の問題は、貨幣単位の濃度の問題である。
貨幣価値は、単位貨幣間の相互牽制によって制御されている。単位貨幣は数直線である。
運動は、変位、速度、加速度によって表現できる。
変位、速度、加速度は、時間と距離の関数である。
距離とは、物理的空間の距離のみを指すわけではなく。量的な隔たり、幅を言う。物理的空間以外の距離には、価格、仕事、熱等がある。
金利は、貨幣空間における加速度と見なす事ができる。
静止した状態とは、時間が陰に作用している状態を言う。
速度は、連続した外延量である。
貨幣的距離は、貨幣単位×数量によって求められる。
金利は貨幣単位における加速度である。
等速運動時において基本となる速度と加速時において基本となる速度は次元を異にしている。掛け算は、次元を変換する。
運動には、放物線運動型、終端速度型、単振動型の三つの型がある。
単振動運動の根底には、回転運動がある。
経済的運動量の一つに労働量がある。
貨幣は、属性を持たない無次元の量である。物量は、属性を持つ有次元の量である。
貨幣は、内包量であり、物量は、外延量である。貨幣は、分離量であり、物量は、連続量である。
費用を圧縮すると言う事は、経済を圧縮すると言う事を意味し、拡散する事は、経済を発散させることに通じ、経済を停滞させることは、時間価値をなくすことである。故に、経済で重要なのは、均衡なのである。
貨幣価値とは、交換価値を数量化した価値である。
現金とは、貨幣価値を実現した物である。貨幣とは、貨幣価値を表象した物である。
貨幣は、自然数の無限集合だから貨幣価値は、収束か発散かに向かう。
無限大の交換価値なんてないに等しい。故に、交換価値は基本的に有限な価値である。
経済的変化は、点対称になることが多く見られる。それは、運動の働きの作用反作用が影響している。また、貨幣価値の正と負の働きにもよる。特に、産業や市場の成長は、離散ロジスティックモデルやベアフルストモデルに近似され、ロジスティック曲線、成長曲線によって表される。
財政は、民間の基準である期間損益に基づいておらず、現金主義に基づいている。その為に、会計と財政との整合性は取られていない。会計上の規律が財政上に於いて守られないのは、財政が会計制度に従っていないからである。民間に於いて不正と見なされる行為も財政に於いては不正とは見なされない。民間企業が破産すれば、責任を問われるのに対して、財政や公益事業に於いて破綻しても責任を問われることはない。それは、公益事業は、営利を目的としていないと言う理由である。しかし、これは欺瞞である。公益事業でも働く者は事業によって報酬を得ているのである。
経済は拡大均衡と縮小均衡を繰り返す。拡大均衡だけを前提とすれば財政が破綻するのは必然的な帰結である。
拡大均衡と縮小均衡は、一定の波動となる。波動には、短期の周期の波動と中期、長期の波動がある。
上り坂と下り坂とを同じギアで同じ運転をすれば事故を起こす危険性が高い。景気の拡大期と縮小期では取るべき政策や仕組みは当然変わらなければならない。
現代経済の基本は、固定的部分と変動的部分の区分にある。固定的部分は、静止した部分、即ち、時間が陰に作用した部分といえる。また、固定的部分は定数を変動的部分は、変数を形成する。そして、変動的部分とは、流動的部分、即ち、時間が陽に作用している部分である。
この様な構造は、比率と回転という形によって表される。例えば、金利と元本、利益と費用、株価と配当、物価と物価上昇率、所得と所得上昇率、固定費と変動費と言うようにである。そして、変化している部分が時間の価値を表している。
時間的価値を決めるのは、比率と回転である。現代経済で重要な意味を持つ概念にレッパレッジがある。レバレッジの根本も比率と回転である。
資金のフロー、即ち、回転が悪くなると正のストック、即ち、資産価値の時価が減少し、負のストック、即ち、負債の残高の水準が上昇する。その為に、ストックの均衡が破れ、資金の回収圧力が強まることになる。
大切なのは、均衡である。回転率が低下した時、ストックの水準を抑制しようと思ったら、利益率を上げる施策を採る必要がある。
現代経済は、変化を前提としている。変化とは動きである。動きによって個の位置を絶えず調整することによって現代経済は、成立している。変化がなくなれば、社会全体が硬直化し、環境や状況の変化に対応できなくなる。そして、現代の市場経済は、市場の拡大、成長、発展、上昇を前提としている。なぜならば、費用が下方硬直的だからである。
現代の日本はゼロ金利時代が長く続いている。ゼロ金利時代が長く続くと、時間価値が作用しなくなる。金利はゼロでも、生活にかかる経費は、上昇する。人件費も上昇する。それは、家計や企業利益を圧迫し、景気の頭を抑える。財政赤字における一番の問題は、国債の残高が蓄積されは、金利を硬直的にすることにある。
経済変動、即ち、インフレーションやデフレーションは、時間価値の変動によって引き起こされる。時間価値を構成する要素は、金利、所得、物価、地価等がある。時間価値の働き、長期、短期によって差がある。また、社会全体に一様に働く作用と社会を構成する要素に個別に働く作用がある。
例えば金利は、社会全般に一様にかかる。それに対して、所得は、個人所得に及ぼす影響以外に、雇用等及ぼす影響がある。また、物価は、財によって時間価値の変動に差が生じる。
時間価値がどの様な作用を社会や個々の要素に及ぼすかを考慮して経済政策は立てられる必要がある。
現代の産業は、期間損益を基礎としている。期間損益では、貸借は、均衡する。貸借の均衡は、資金の長期的働きと短期的働きとを区分することによって成立している。長期的働きは、ストックの部分を形成し、短期的働きは、フローの部分を形成する。重要なことは、ストックとフローの均衡であり。ストックとフローは資金の流量と回転を制御していると言う事である。
負債の規模の適正度は、収益力によって測られる。
財政を考える上でも貸借が均衡することを前提としなければならない。借金、即ち、負債や費用のことを考えると悲観的になりやすく、逆に、収益や資産のことばかりを考えると有頂天になりやすい。
しかし、実際は、貸借は、均衡しているのである。問題は比率である。負債と資本、資産と負債、資産と資本、収益と費用、費用と負債、利益と負債、資産と費用、収益と資産の比率が重要になるのである。そして、これらの比率に対して、長期、短期の資金の働きがどう関わるかが重要になる。
故に、財政や経済政策は、これらの比率が経済にどの様な意味を持つのか正しく知った上に、どの部分にどれくらいの量をどの様に流すかの問題だといえるのである。
資産は、流動資産と固定資産に区分される。流動資産は、貨幣性資産と非貨幣性資産に区分される。貨幣性資産は、現金と金融資産に区分される。固定資産は、担保性資産と費用性資産からなる。
費用は、固定費と変動費に区分される。固定費を大部分を占めるのは、人件費と償却費である。人件費は、所得となって消費の源となる。償却費は、長期借入金返済の原資となる。
負債は、期間損益の基準に従って長期と短期に区分される。又、負債は、元本と金利からなる。
収益は、費用と利益に区分される。そして、単価×数量、或いは、利益率×回転率と数式に表現することができる。
資本は、出資金と利益とから成る。又、準備金と株主持ちに区分される。
キャッシュフローは、運転資金と投資資金に区分される。運転資金は、短期の資金の流れを、投資資金は、長期の資金の流れを形成する。短期、長期の資金の流れが経済の変動の周期の素となる。
投資には、人的投資、設備投資、在庫投資がある。
収入を構成する要素は、負債と資本と収益だと言う事である。そして、負債とは、長期的資金の流れ、資本は、恒久的資金の流れ、収益は、短期的資金の流れを意味する。
資産、費用、負債、資本、収益、個々の働きに加え、資産、費用、負債、資本、収益、相互の関係、働きが経済の動向を決めている。更に、現金の動きが資産、費用、負債、資本、収益を関係付けている。故に、資産、費用、負債、資本、収益、相互の関係を明らかにし、それに現金の動きを結び付ける必要がある。その鍵を握っているのが時間が生み出す価値である。時間が生み出す価値は、個々の要素の働きと働きの時間的ズレによって生じる。
インフレーションやデフレーションには、資産、負債、資本、収益、費用を原因としているものがある。そして、例えば、費用を原因としているインフレーションがコストプッシュインフレーションであり、負債を原因としているインフレーションが過剰流動性によるインフレーションである。
経済政策は、どの様な要因によって引き起こされた現象であるかを見極めることが肝要となる。経済現象の根本の原因によって施策を変える必要があるからである。
また、経済現象は、資産、負債、資本、収益、費用が単独の要因となって起こされるのではなく。貨幣の流れと結びつくことによって引き起こされる。対策は、貨幣の流れる量と方向をよく見極めながら慎重に行われなければならない。
いくら資金を注入しても収益に結びつかないかぎり、ただ、長期的負債を積みましているだけで、景気は上向かない。なぜならば、資金を注入しただけでは、決済に結びつかないからである。収益上に現れてはじめて清算のである。
資金の効率は、資金の回転と比率によって決まる。資金の回転は、例えば、総資産と収益、或いは、負債と収益との関係から求められる。
経済にしても、経営にしても、収益と資産、収益と負債との比率が重要な意味を持っている。
貸付金の減少は投資の収縮を意味し、預貯金の増加は、消費の減退を意味する。貸付金と預貯金の差が市場に向かって流れている資金の量である。資金効率の指標となる。目安となるのは、超過預金額である。
資産価値の変動と負債の変動は、非対称であり、複式簿記特有の動きをする。複式簿記特有の変動は、資産価値や負債だけではない。簿記上の借方、貸方は、相互に牽制しながら自律的な動きをする。それが経済に重大な影響を及ぼすのである。
即ち、借方は、物に基づいて実体的な動きをし、貸方は、貨幣価値に基づいて名目的な動きをする。即ち、実体的な動きをするのは資産と費用であり、名目的な動きをするのが負債と資本、収益である。
経済的変動は、実体的な部分、即ち、借方の勘定科目、資産や費用に直接的な影響を及ぼす。それが名目的な部分、貸方に反映されるのである。
物価や為替の変動は、資産や費用に影響を及ぼす。それが、負債や資本、収益に反映されて利益が変動するのである。
重要なのは、資産価値の変動と、負債の変動は、非対称だという事である。
又、資産価値と負債、資本は、長期的資金の働きとしてストックの部分を形成し、費用と収益は、短期的資金の働きとしてフローの部分を形成する。
ストックの部分は、貨幣の流量に影響をし、フローは、物の価値の水準を決める。
故に、物の価値である物価を基礎とするインフレーションやデフレーションは、フローの問題であるが、その原因となる貨幣の流量はストックの水準に左右される。現象としてのインフレーションやデフレーションは注目されるが、その因子となるストックが軽視されているから景気の対策として有効な政策を立てられないのである。
経済活動が低下すると資産価値が低下する反面、名目的価値の負担が増大する。資産価値が上昇している時は、負債の負荷を軽減し、資金調達を活発にするが、資産価値が下落すると負債の負荷が増して資金調達に支障をきたすようになる。資産価値が下落している時に金融が資金を回収しようとすると収益の低下に合わせて借入による資金調達も難しくなり、資金繰りが悪化する。
担保力が低下すると相対的に負債の負荷が増大する。それは、資金調達力に対する負担が増大することを意味する。
1000万の土地を同額借入で資金を調達をした場合、地価が1200万に上昇すれば資金調達力に200万の余力が生じるが、800万に下落すれば、資金調達力に200万の不足が生じる。しかも地価が下落している最中は、土地を売れば売却損が生じる。当然に地価の下落は、投資を抑制する効果がある。その上、問題を難しくしているのは、資産価値と負債との差額は、含み損益、未実現損益だという点である。
地価が全面的に下落すると資産価値が一様に低下し、企業の資金調達力を低下させ、必然的に投資余力も狭める。この様な状況に陥った場合は、資金の回転を速め資産の働き、活力を高める必要がある。その為には、土地の流動性を促す施策を採る必要がある。
現代の市場経済は、成長を前提として組み込まれた経済である。それは、時間価値の働きを前提としているからである。
期間損益から経済に与える影響を読みとるためには、資金の流れ、キャッシュフローに置き換える必要がある。経済の変動は、収入と支出の時間的ズレに起因すると言われているからである。
お金(貨幣)の流れは、個人所得として家計に分配される。家計に分配されたお金は、消費によって企業に、貯蓄や返済を通じて金融へ、税によって財政へと配分される。そして、配分先それぞれに再投資、返済、繰越に割り振られる。
ただし、家計と財政は、現金主義であり、企業会計は、期間損益主義である。
この貨幣の流れに沿って期間損益主義は、フローとストックに振り分けるのである。
問題になるのは、どちらの方向にどれだけの量の資金が流れたかである。
資金が再投資の側に流れ、尚かつ、収益に結びついた時、市場は拡大する。資金が返済の側に流れれば、市場は、収縮する。どちらにも流れずに、留保が積まれれば、市場は停滞する。
長期資金の働きは蓄積される。蓄積されることによって市場に流通する通貨の総量の水準を維持する。ただ、長期資金が過剰に累積すると返済圧力が強まり、短期資金の供給を圧迫し、資金の流れを阻害することがある。
金融機関が自己取引でしか利益があげられなくなったらお終いである。それは、実物経済に資金が流れなくなった証左だからである。実物経済において適正な収益があげられなくなった証拠である。
収入には、一定の形がある。形は時間によって決まる。即ち、不定期の周期による収入と定期的収入の二つがある。定期的な収入には、日単位、週単位、月単位、半年単位、年単位、複数年単位の周期がある。更に細かく言うと一日の動きにも午前、午後による周期がある。又、一生を単位とする収入もある。
例えば、月給取りの収入は、月に一回と年に二回、月単位と半期単位の二つによって構成される。この様な収入の形は、結果的に、支出の形を規制する。
収支の形によって収益の形が決まり、又、借入の技術が発達し、消費が形作られ、費用が構成され、資産が形成される。又、収支は、現金の流れによって成立する。現金の流れに偏りが生じるのが問題なのである。
経済的事象を分析する時、注目すべきは、比と形である。
特に、時間の形、長期、短期の構成によって作られる形である。金利の長期、短期の形は、景気の動向を左右する。更に、収益と費用の比率が作り出す形、資産、負債、資本の形。キャッシュフローの形。これらの形は、一種の経済的地形図とも言える。
血液は、大切だが、肉体を構成するのは、血液だけではない。貨幣も同様である。貨幣だけで経済は成り立っているわけではない。
全体像を把握しないと経済の動向を明らかにすることはできない。
貨幣が流れる道は、地形に左右され、地形を作る。また、貨幣の流れを活用しようとしたら、地形を利用して堤防を築き、ダムを造り、運河を掘る必要がある。
家計の長期的、短期的収支と企業の長期的、短期的な収支が景気変動の基調を形成する。
個人収入、即ち、個人所得は、月給取りを例にとると月に一度、年にすると十二回支給される。さらに、年に一度、一生に一度という収入もあり、これらの収入に基づいて生活設計、人生設計がされる。生活設計を基にして資金計画、即ち、借入計画も立てられる。
収入は、生活費、借金の返済、地代家賃、預金などに分配される。この様な支出が経済の動向を決めている。
長期的支出には、結婚資金、家の建設資金、出産育児資金、教育資金、老後の資金などがある。
初期投資は、一定期間で収益によって回収することが求められる。問題は、初期投資を回収するまでの期間の長さである。
初期投資が収益に転化するためには一定の時間がかかる。その間の費用対効果を算定するために期間利益が考案された。期間損益によって初期投資は、一定の期間、収益の中から回収される。故に、適正な収益が確保されないと初期投資は、回収されないことになる。ところが、償却費は、実体的、即ち、現金の支出を伴う費用ではない。その為に、減価償却費を操作して利益を操作すれば実際は利益が上がっていなくとも、見かけ上の利益は確保されるのである。しかし、それは、長期負債の水準を引き上げることに繋がる。
初期投資は、固定資産と長期負債、そして、資本の一部を形成する。固定資産の中の費用性資産を分割し、一定の期間で長期負債の元本は返済される。
初期投資によって生じた長期負債で費用性資産に相当する部分は、収益によって償却される。返済資金が不足した場合は、担保性資産を担保して資金を調達する。
担保性資産は、収益と収入との空白期間の資金調達を裏付けするための働きをする。
また、収益の中から、費用が支払われる。費用の中の人件費は、個人所得に転化され、個人消費の源となる。
確かに、公共投資には、資産価値を上昇させる要素がある。しかし、資産価値のどの部分にどの様な影響を及ぼすかを良く考慮しないと公共投資は実効力を持たないと心得ておかなければならない。
参考文献
「経済と金融の数理」青木憲二著 朝倉書店
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