内政と外交


 日本は、日本の地理的要件が政治的、経済的、軍事的に果たしている役割をよく理解しておく必要がある。それが国家戦略を立てる上で基礎的前提要件となるからである。

 国家が追求するのは、平和と豊かさである。
 平和を追求するのが政治であり、豊かさを追求するのが経済である。そこに国家目的がある。
 戦前は、富国強兵によって豊かさと平和を実現しようとした。富国の手段は、殖産興業である。
 経済とは、生きる為の活動である。生きる為の活動とは、生産と消費である。そして、経済の役割は、労働と分配である。つまり、労働によって生産した物をいかに消費者に分配するかである。
 貨幣経済は、貨幣を用いて労働と分配を実現する。貨幣は市場において機能を発揮する。故に、貨幣経済と市場経済は、不離不可分の関係にある。
 そして、市場の状態は、需要と供給によって左右される。故に、市場においては、需要と供給が重要な要素になる。しかし、需要と供給に経済の基礎があるわけではない。経済の基礎は、生産と消費、労働と分配にあるのである。

 気をつけなければならないのは、労働は、生産だけにかぎらないと言う点である。消費にも労働はある。又、生産物や用役の全てを貨幣に換算することはできないと言う点である。この点を見誤ると経済の大局を見失う。

 政治とは、国家の仕組みを制御、統制しようとする行為である。法治国家においては、国家の仕組みを定めるための立法行為も政治活動に含まれる。
 どの様にして国家を制御、統制するかというと、外部の勢力と内部の勢力に対して働きかけることによって国家の仕組みを統御するのである。外部の勢力に対する働きかけ外交であり、内部への働きかけが内政である。
 外部の勢力とは、国外に存在する主権者である。内部の勢力というのは、国内に存在する主権者である。国内に存在する主権者とは、国民である。
 国外に存在する主権者とは、国家と限定されてはいない。国際連合のような国際機関をも含んでいる。また、国際的な勢力を持つ宗教団体や思想団体もある。今後は、多国籍業な存在も外交の対象として浮上することが予測される。更に、国際的犯罪組織やテロ集団も外交の対象となりうる。

 外交と内政は、表裏の関係にある。又、政治と経済も表裏の関係にある。

 外交も内政も、外的、内的双方の力関係を反映している。
 戦争の原因は、内的要因によるところが多い。権力抗争は、外圧によって引き起こされる場合が多い。
 明治維新は、黒船が引き金になっており。フランス革命がナポレオンを生んだ。内憂外患。国内に問題を抱えたら、目を外に向けさせろ。国内を纏(まと)めるために、外に敵を作るのは、権力の常套手段なのである。
 国際的力関係は、国内の権力闘争に反映する。国内の権力闘争は、国際的力関係の縮図である。
 外交と内政は、自律的に、そして、相互に影響を与え合って進行している。

 外交も内政も、地理的、歴史的要件によって制約を受ける。故に、長期的展望や国家戦略、国家構想に基づく必要がある。故に、目先のことにとらわれていると大局を見失う。
 外交は、国際的力関係、内政は、内的権力関係によって左右される。特に、外交は、内政が内輪の問題であるのに対し、外部との力関係によるのであるから、自国の都合だけを優先することは許されない。
 外交が破綻すると国際社会の力の均衡が破れ戦争を招く。内政が破綻すると権力闘争が起こり、革命やクーデターの原因となる。
 いずれにしても、外交も内政も継続性が重要となる。継続性を維持するためには、長期的には、国家観や国家理念、国家構想が、中期的には、国家戦略が不可欠となる。

 外交や内政の根幹をなすのは、自分の国がどこに位置し、どの様な要件、資源を備えており、内外に置いてどの様な役割、機能を果たすかにある。その上で、どの様な国にするのかの構想を明確に持つことなのである。

 外交も内政も場当たり的、場つなぎ的な施策を続けていると必ず破綻する。重要なのは、関係である。そして、継続である。
 一つの施策がどの様に他の事象に連鎖していくか、どの要素とどの要素が関連しているのか、よく見極めておく必要がある。それは一朝一夕でできるものではない。故に、外交や内政は、構造的、組織的な基盤に立って為されなければならない。

 相手国の国家戦略や外交政策を読むことは、比較的容易い。なぜならば、国家戦略や外交政策は一貫していなければ有効性が保てないからである。
 問題は、その相手の国家戦略、外交政策に対して短期的にどの様に対応していくかである。相手国の国家戦略や外交方針を見誤れば、些細な偶発的事象によって相互の戦略や政策が破綻してしまうことがあるからである。

 経済拠点、例えば、生産拠点を国外に転移すると言う事は、転移した先の国に経済的に依存することを意味する。移転した生産物が国民が生存するために不可欠な資源、物資であれば、その国の政治状況に国内の経済状況は深く関わることになる。国防に関わる物資であれば、国家防衛に支障をきたすことになる。当然、外交上の最優先事項にもなる。
 産業の空洞化は、生産拠点のみならず、雇用の転移も意味する。それは国民生活に直結していることを忘れてはならない。単に経済の問題としてのみ片付けるわけには行かないのである。
 軍の装備を他国に依存すると言う事は、その国の軍事システムに組み込まれることを覚悟しなければならない。自国に軍事システムを維持するために必要な物資、資源を継続的に補給し続けなければならなくなるからである。
 外交や内政というのは、自分達がどの様な体制の側に所属しているのかを自覚しないと思わないところで綻(ほころ)びが生じるものなのである。敵とするも、味方となるも、明確に国家意志に基づかなければならない。その意味でも、国家戦略や外交政策を読むこと自体は、さほど難しいことではない。問題は、それに対して、自国のはどの様な位置に立ち、どう対処するかである。

 国民国家は、理性的に行動するとはかぎらない。むしろ、国民国家ほど、国民感情によって揺り動かされる。
 故に、国民国家において、国民感情、特に、世論の動向は、為政者の思惑を越えて暴走することがある。国民国家では、国民感情を無視しては、国家戦略も外交政策も成り立たない。国民感情の方向を決めるのは、歴史や文化、価値観の向かっている方向である。故に、永い見通しを以て地道に外交や内政は為されなければならない。一時的な変動に振り回されれば国家の進むべき方向は見失われてしまう。

 アメリカには、アメリカの尺度があり、ロシアには、ロシアの尺度があり、中国には、中国の尺度があり、中東産油国には、産油国の尺度があり、インドにはインドの尺度がある。しかし、今の日本人は、日本人の尺度でしか国際社会を捉えていない。そこに、日本外交の危うさがある。

 他国は、他国の都合、尺度で動いている。日本の良識、常識は通用しないのである。極端に言えば、日本人の常識は、他国民にとって非常識なのである。

 民主主義や自由主義を信奉する者の中には、民主主義や自由主義を普遍的原理のように捉える者がいるが、民主主義も、自由主義も、所詮は、思想なのである。共産主義やイスラム原理主義、或いは、全体主義、無政府主義を信奉する者にとって民主主義や自由主義も異端なのである。未だに、全世界を統一できるような政治思想は確立されていない。故に、国際社会は、力によって支配されているのである。
 外交官は、現実主義者でなくてはならない。非現実的な理想や甘い期待によって外交を行えば、国民を侵略や戦争の危険に曝すことになる。国防は、現実の問題なのである。理想論によって、或いは、観念によって解決できる問題ではない。
 外交の場は、力と力の葛藤の場、修羅場なのである。

 戦争や革命、クーデターの原因は、基本的に政治的破綻にある。国家が統御できなくなるから争いが起こるのである。その争いの延長線上に戦争や革命、クーデターが発生するのである。戦争や革命、クーデターは、一人の野心家が起こせる事象ではない。その背後には、必ず政治的破綻が隠されている。

 争いを制度化し、競技化したのが民主主義である。日本人は、民主主義を誤解している。日本人は、民主主義の基本を話せば解ると言うことに置き、話し合う事だと思い込んでいる。
 民主主義の基本は、話し合っても解らないである。故に、各々が自分の主張を明らかにした上で、規則よって組織的な決定を行うという仕組みなのである。民主主義は、基本的に個人を信ぜずに法や制度に信を置く思想なのである。法や制度を信じる事によって個人を信条を尊重する事が可能だとするのである。それが民主主義で言う自由である。
 この様な民主主義は、当然、争いがあることを前提とする。つまり、全員一致を前提とはしていない。故に、多数決の原理が働くのであり、基本的にこの思想は国際社会にも敷延化される。言い換えれば民主主義は、法や制度が機能しているから争いは収束できると考えるのである。法や制度が機能しない場合は、争いは、制御できないと考える。それが前提である。争いが制御できない場合は、力によって決着をつけるしかなくなる。故に、現代の国際法では、戦争を全面的に排除しているわけではない。武装しないと言うのは、勝手だが、それによって自国が戦争に巻き込まれないと言うのは、思い込みである。非武装だからといって戦争に巻き込まれないと言う保障はどこにもない。その意味で非武装というのはあくまでも思想である。それも、宗教的信条に近い。
 仮に、自国の武装を解除し、全面的に国防を他国に委ねると言う事は、国際社会では、主権と独立を放棄したと見なされるのが妥当である。

 戦争は、軍部が引き起こすものではない。政治的破綻によって引き起こされるものである。軍部が暴走する時は、その時点で政治は、破綻しているのである。軍部の暴走を引き起こすのは政治である。政治的破綻とは、戦争の場合の外交上の失敗によるといえる。外交にあたる者は、この点を肝に銘じておく必要がある。

 戦後の日本は、豊かさと長期にわたる平和を実現した。しかし、この様な時代もこの様な国も稀なのだという自覚が今の日本人にはない。それが日本を危機的な状況へと向かわせている。

 そして、今日の繁栄をもたらしたのは、戦争の犠牲になった人々と、戦争を生き抜いた人々である。戦後生まれ、反体制、反権力に明け暮れた日本人は、平和と繁栄を享受しただけで、戦場に行ったわけでも、飢えに苦しんだわけでもない。しかし、我々が生まれるほんの少し以前には、我々の父母は、戦争に行き、又、戦禍に苦しんだのである。そして、戦後の食糧難の時機は飢え死にした者も数多くいたのである。

 国家が追求するのは平和と豊かさである。平和は、政治によって、豊かさは経済によって実現する。




        


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