日本人は軍人的発想が乏しい。


現代日本の最大の危機は、軍人的発想のできる政治家やジャーナリストがいない事だ。

是非は別にして日本人は、軍人的発想ができなくなっている。
世界は、日本の様に軍人を認めない国によって成り立っているわけではない。むしろ、日本の様に軍人を認めない国は、例外的であり、特殊、異常なのである。この事を前提にしておかないと国際社会の動きを理解することはできない。

国際社会には、軍事力が働いている事は、紛れもない事実である。
しかも決定的な部分で軍事力は働いている。

そして、軍人は、民間人とは、別次元の価値観、人生観、使命感を持っている。

民間人は、身近な人が一人でも何らかの災難で死ぬと大騒ぎになる。死ぬどころか怪我をしても大変である。十人を超える被害者が出たら第三次である。
しかし、軍人は違う。一度戦端が開けば何千何万の兵士が死んでいく。
一人二人は統計にもならない。

日本人は、ともすると彼らの存在や生き様を頭から否定する。否定するだけにとどまらず無視してかかろうとする。
しかし、国際平和を保つ上では彼らの存在を認め軍人の価値観、人生観、生き様を理解しておく必要がある。

軍は、良かれ悪しかれ、軍隊の論理で動いている。
軍は、常に、軍事的脅威を取り除こうとする意志が働いている。
軍人にとって平和だの、理性だのと言った曖昧模糊とした観念に基づいて行動するわけではない。
現に、そこに武力が存在し、攻撃する能力があれば、それを軍事的京として認識する。
敵か味方かは、相対的な事であり、絶対的ではない。相手の良識とか大義を信じて警戒心を解くわけにはいかない。それが軍人である。
軍人は、楽観的観測や、憶測推測で行動するわけではないし、楽観的観測や、憶測推測で行動する事の愚、危険性を熟知している。
軍人は、最期は命をかけて戦うか否かを問題としているのであり、勝利のみを求めて敗戦は、最初から考えていない。なぜなら、敗戦は、即ち、破滅だからである。

軍人は、常に、殺るか殺られるか、生きるか死ぬかの世界に生きている。
軍人は、戦う事に存在意義があり、戦わずに敗北を認めるような事は死ぬこと以上の恥辱となる。敗北はすなわち死を意味する。
負けを認めるくらいなら戦って死ぬことを求める。それが軍人である。
この軍人の切ない思いを理解しなければ、国際情勢は理解できない。これは是か非かの問題ではない。生き様の問題なのである。

今の日本のジャーナリストの世の中に対する認識力には、絶望すら覚える。
日本のジャーナリストの多くは、自分たちの常識が世界中の常識だと思い込んでいる。世界中の人民は、平和主義であり、非暴力主義であり、常に正義は勝つと思い込んでいる。
その一方で北野武のような暴力的無政府主義者を日本のオピニオンリーダーだともて囃す。何をか況やである。
そういう人間だから、偶発的衝突が怖いなどという間の抜けた事を言う。戦争に偶発的衝突などありえない。偶発的衝突が問題なのは、局地戦であって。全面戦争は、何らかの意志がなければ起こらない。問題とするならだれが軍事的意思を発動するかなのである。
戦う意思を軍事力を掌握する者が持ったら、その者が排除されない限り、避けえない。また、軍人は、戦う意思を察知したら速やかに戦闘態勢に入る。
それが軍人の発想である。

何事も穏便にとか、余り相手を刺激しないでとか、相手がどうせ引き下がるだろうなどといった甘い観測に基づくのは、軍人にとって最も忌むべき事である。軍人はまず戦う事を考える。そうでなければ覚悟もできず。腹もくくれないからである。軍人の言う平和とは戦う事を前提として成り立っている。
核抑止も核兵器を使用することを前提として成り立っていて核兵器を使用する覚悟がない者に核戦争を抑止することはないというのが前提である。
最初から諸国民の良識を期待しているわけでもなければ、独裁者や権力者の良心を期待しているわけではない。宗教的な人道主義を信じているわけではない。彼らが信じているのは力による正義である。なぜならば、軍人は現実主義者でなければ職務を果たせないからである。日和見主義は、最も忌避すべき事である。

国際情勢に対する認識も友人関係の域を出ない。国際紛争に対する見解もワイドショー番組の域を出ない。
どれ程、軍事に詳しいと称しても、軍人的な発想ができるものは、ほとんどいない。

軍人の気持ちなど何もわかっていない癖に、理性とか、良識とかを振り回して国際情勢をしたり顔で語る。何でもかんでも自分たちの常識で押し通そうとする。
それでいて、軍人を頭から舐め切っている。
どうせ最後は話し合いで決着できるさといった根拠なき楽観によって物事を斜に構えている。
命がけで信条や国を守ろうと考える者や最後は死を覚悟してことに臨んでいる者の考えがわからない。

あまり、追い詰めてはとか、事を荒立てない方がいいとか、可哀想等という同情論など通用しない世界がある事を理解しようともしない。

そして、その安易な楽観論が人々を破滅へと導いてしまう恐れがある事がわかっていない。
要するに侍がいなくなったのである。



日本人は軍人を山賊野盗の類か海賊のごとく考えているようにすら思えます。
軍人と犯罪者を同列に語る事はできません。
軍人は、防人です。どの国においても自分の命を顧みず、国家国民のために身命を擲って働く英雄だという位置づけがされているのが普通です。
だから、軍人は、軍人というだけで大臣にもなれる。また、そうでなければ、軍人は、人としての尊厳を保つ事が難しい。
それが敗軍のモラルや規律が失われる最大の原因でもあります。
自衛官を無腰で戦場に送り出しながら、何の危険もないなんて答弁するのは詭弁極まりない。いくら政治だからと言って野党も自衛官の安全を守るために必要な最低限の装備を保障しないというのは人の道に外れてます。
危険な場所を安全だと言いくるめたところで危険な場所には変わりないのです。
日報は、自衛官にとって死活問題です。事実を正確に短く要領よく記載するのは必須であり、戦闘があったら、戦闘があったと、発砲があったら発砲があったと報告するのが当然です。むしろ、簡潔に報告できない方が問題なのです。
報告の持つ重要性を理解できない政治家が政争の具にすることで、報告の精度が失われることの方が自衛官にとっては死活問題です。
言葉の問題ではなく事実です。事実を正確に迅速に報告する。それは軍人にとって一番大切な事です。
大体、戦場でない国でも、安全だと言われる国でも、戦闘や発砲はあり得るのです。戦闘があったから発砲があったから危険地帯だと断定するのは短絡的です。
日本だって安全だとは言い切れない。日本は自衛隊が存在するから安全なのです。テロはどこでも発生するし、虎視眈々と周辺国は日本に対する侵略を企てているのです。
今日の国会の論争の空疎さは理解できません。
北朝鮮が大陸段弾道ミサイルの実験を繰り返し、着々と核兵器開発を進めている時に、空理空論で国会を空転させる愚を誰が理解できますか。
世界中の物笑いの種にされるだけです。
自衛官の名誉を守るためにも断固として自衛官の考えを主張すべきだと考えます。



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