日本と民主主義


なぜ、日本の民主化はうまくいったのに、イラクではうまくいかなかったのか。
それは、天皇制有無の差であると竹田恒泰氏が「そこまで言って委員会」というテレビ番組で言っていた。
天皇制の是非は別として、天皇制があったから民主化が実現したというのはあながち暴論とはいえはない。
私は、天皇制が疑似的一神教として働いたがゆえに、日本の民主化は、実現したと考えている。

日本人は、民主化というのは自然の摂理であり、無為に任せていれば、自然に民主主義は実現できると思い込んでいる節がある。
しかし、民主主義体制というのは、きわめていろいろな条件や要素が整わなければ成立しない難しい体制である。
少なくとも放っておけば自然になるという体制ではない。
日本に民主主義が成立したのは、一つは、敗戦である。もう一つは、天皇制が疑似的な一神教的な働きをした事が大きい。

日本人は、民主主義体制がキリスト教という一神教の本で成立した事を過小評価している。
世俗的権力が、私的権力から公的な権力へ移行するためには、世俗的権を超越した存在を前提とする必要がある。
もう一つは、世俗的権力が、特定の勢力に結び付かないための装置、仕組みが用意されなければならない。
その意味で、民主主義は極めて制度的、構造的、手続き的体制だと言っていい。
よくなぜ、手続きが優先するのかとか、手続きなんて形式ではないかと頓珍漢な事を言う日本人がいるが、それは日本人が民主主義の本質を理解していない事による。
日本の民主主義は、占領軍から与えられた民主主義なのである。
だから、民主主義を安易に非暴力主義、無抵抗主義、平和主義と結びつけてしまう傾向がある。

アメリカは独立戦争、フランスは革命と民主主義は暴力によって成立したという歴史的背景を見落としてはならない。
しかも、アメリカもフランスもキリスト教を母体とし、宗教革命を起爆剤として旧支配体制からの脱却という動機があって初めて成り立ったのである。

日本のメディアは、あたかも、自分たちの力で、成し遂げ、勝ち取った体制であるかのごとく錯覚し、民主化が実現されていない国々の人達を見下した言動をとる者たちが多くいる。
しかし、日本のメディアは、日本の民主化にほとんど貢献していない。貢献していないどころか、日本の民主化を阻害した勢力が多く含まれている。
そのような勢力は、日本の敗戦後、占領軍の媚びへつらい、民主化のお先棒を担いだというだけである。
だから、彼らの多くは、戦後の日本の体制に対してプライドがない。
一々、占領軍であったアメリカやロシアの顔色を窺い、周辺国に気を配りながら民主主義や自由主義について語っているだけである。
主体性なんてどこにもない。左翼運動も然り。ただ、海外から輸入した思想を解釈しているのに過ぎない。

だから、今、アメリカやヨーロッパで起きている論争がわからないのである。
日本のメディアは、アメリカの大手メディアの御用機関でしかない。
トランプ大統領の言動に対しても独自の見解が出せないでいる。

トランプ大統領は、アメリカの利益を代弁しているのである。そして、それに共鳴するアメリカ人が多くいるというのが現実なのである。

戦後日本人は、愛国心とか、国益という概念は、民主主義や自由主義に反する思想だと教え込まれ。それを鵜吞みにしている。
だから、愛国心とか、国益なんて言うと民族主義者や国粋主義者、全体主義者、独裁主義者だと短絡的に判断してしまう。

だから、民主主主義や自由主義の総本山ともいえるアメリカやフランス、イギリスなどから愛国心とか、国益なんて言われるとわけがわからなくなるのである。
民主主義者だって自由主義者だって愛国心は大切にするし、優先もする。否、民主主義者だからこそ、自由主義者だからこそ愛国心や国益を大事にし、優先するのである。
トランプ大統領は、それをあからさまにしていると言う点で特異なのであり、決して、特別なのではない。
日本人は、そういったアメリカ人の主張が理解できないから短絡的にナチズムに結び付けようとする。
それでは、彼らの本質は理解できない。

アメリカの根源は、キリスト教国だと言う点を忘れてはならない。本国の迫害を逃れて移民してきた新教徒たちである。

なぜ、日本で民主主義が花開いたのか。それは昭和天皇が自らを象徴としたことで、疑似的な一神教が成立した事によることが大きい。
それは天皇制を認めるか否かにかかわらず。現実である。その点を踏まえない戦後の日本の民主主義は理解できない。
そして、中東や中国、また、その他のアジアの国々で今後民主化がどのように進んでいくかの予測もつかないのである。

日本人の言う自由は家畜の事由に過ぎない。
かつて、日本を代表するオピニヨンリーダーと言われている田原総一朗とか、野坂昭如、大橋巨泉は、日本が他国に侵略されたら妻子を捨てて逃げると公言してはばからなかった。これは植民地根性、奴隷根性、隷属者の価値観に過ぎない。彼らが革命思想を唱えてもそれは、所詮、支配者の思想を代弁しているのである。

真に、自由主義者たらんとするならば、まず独立を志向するべきなのである。命がけで独立を守るべきなのである。


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