死      語


 清く、正しく、美しく。世話をやく、面倒を見る。謙虚、謙譲、徳、正義、大義、義理、人情、侠気、義侠心、男気、意気、意気地、信義、友誼、友情、赤心、誠、誠心誠意、一所懸命、大和魂、慈悲、慈愛、志、矜持、恥、名誉、節度、貞節、純真、純潔、純粋、純情、無垢、潔さ、仁義、道徳、世の為、人の為、恩、道義心、親孝行、克己心、廉恥、羞恥、惻隠の情、もののあわれ、配慮、思いやり、労り、配慮、粋、礼儀作法、良識、良心、常識。そして、真面目、正直。
 これらの言葉は、皆、死語になったか、死語になりつつある。死語になると同時に、実体もなくなった。そのあげくが、ひきこもりやニートである。
 羞恥心という言葉が流行りだした。しかし、それも羞恥心の意味とはまったく別のところである。言葉そのものが形骸化している。
 これらの言葉は、皆、死語になったか、死語になりつつある。死語になると同時に、実体もなくなった。そのあげくが、ひきこもりやニートである。
 羞恥心という言葉が流行りだした。しかし、それも羞恥心の意味とはまったく別のところである。言葉そのものが形骸化している。空疎にひびく。
 死語となった言葉は、古くさい言葉でしょうか。くだらない、滑稽な言葉でしょうか。おかしな言葉でしょうか。守る必要のない言葉でしょうか。馬鹿げた言葉でしょうか。意味のない言葉というのでしょうか。

 我々の祖先が大切に守り育んできた日本人の魂は、日本人の心は、どこへ行ったのであろう。どこへ消えていったのであろう。心は萎え、気は失われていく。

 有名になりたいというただ、それだけで人々を平然と殺戮する若者がいる。ただ、自分の欲望を満たすために、多くの人々の幸せを踏みにじる者がいる。自分の野望を達成するためなら、平気で愛する人々を犠牲にする者がいる。金儲けのためなら、手段を選ばない者がいる。この国は、どこか病んでいる。

 役に立つという言葉を侮るようになった。世の為、人の為に、役に立つ人になりなさいなどと言うと笑われてしまう。人の役に立つなどと言うと偽善者だと馬鹿にする。だから、人の役に立ちたいなんて誰も思わなくなった。

 私は、沖縄に飛行機で行った折、特攻隊で死んでいっていた方々のことで、思い違いをしていたことに気がついた。
 特攻というと、敵艦に体当たりしていく華々しいところを思い浮かべるが、重い爆弾を抱え、敵艦を求めて、ひたすら、あの小さな飛行機で長時間にわたって飛んでいく。その凄さだと思う。一体、まだ二十代の若者が何を思い、何にを祈って耐えたのか。その心根こそ忘れてはならないのだと・・・。
彼等は一体、一命をかけてまで何を護ろうとしたのだろうか。

 生き残った我々が、死ぬもの貧乏と、彼等を犬死にとあざ笑い、嘲笑することが許されるというのであろうか。
 日本人としての心を忘れ、驕り高ぶり、自分の欲望を専らにして、国の将来も考えずに蕩尽する人間を見ると、私には、彼等を冒涜し、侮辱しているように思えてならない。
 我々には、彼等が護ろうとしたものを、護り続ける責務があるはずである。彼等が、爆弾を抱えてこの空を彷徨っている時の心情を思えば、自分の幸せばかりにとらわれているわけにはいかなくなる。
 今、沖縄は、一大リゾート地と化し、若者達が青春を謳歌している。ほんの四半世紀ほど前、ここが激戦地であったことなど、そして、幾多の無辜の民が戦に巻き込まれて無惨に殺戮されたことなど、夢のようである。平和は尊い。しかし、その平和を築くためにどれだけ多くの犠牲が払われたのかを、我々は、忘れていいのだろうか。
 確かに、日本は豊かになった。しかし、彼等が大切にしてきた、日本の心。言葉は今死語となりつつある。その責任は誰にあるのか。それは、我々一人一人が自分の心に問うべき事である。

 人間は、神の怒りの怖ろしさを忘れている。神の怒りは、突然、訪れる。しかし、神の怒りを招くのは、人間の所業である。神は、本来、慈悲深く、人々を見守っておられる。しかし、人間が神の慈愛に甘え。放埒な生活を繰り返せば、破滅は突然やってくる。その時、神を呪うのも、神に許しを請うのもお門違いである。呪うならば、自分を呪え。許しを請うならば、自分に許しを請え。
 人間は、所詮、いつかは、死ぬのである。他人の迷惑を顧みず、好き放題し、放埒に死んでいくのも、ただ、志に従って、従容として死んでいくのも、死には変わりない。確かに、変わりないが、その死を選ぶのは自分である。
 あなたは、死ぬのです。それもいつ死ぬかは、わからない。しかし、いつか必ず死は、誰にでも訪れる。死のうは一定。自分の目の前に、死に神が立った時、どう申し開きをするというのか。ただ、ただ、自分の所業を受け容れる以外にない。それを人間は最も怖れてきたのである。

 あなたは死ぬのだ。死に際し問われるのは、あなたの生き様でしかない。
 それを承知ならば、恥も捨て、名も捨て、誇りも、道義も、恩も忘れ、信義も、義理も、人の情けも、人の道も捨て、ただひたすら金儲けに走ればいい。

 千載に汚名を残すのも勝手、大義に殉ずるもまた良し。それを選ぶのは自分である。私は、大義に殉ずる覚悟はできている。
 義を重んじ、名こそ惜しめ。

 これから、我が国は、正念場を迎える。それぞれが、それぞれの持ち味を活かし、使命、天命に従って、世の為、人の為になることを選ぶのか。それとも、私利私欲に走り、目先の利を争って共倒れする道を選ぶのか。それとも利を専らにし、我のみよければいいとするのか。心して返答しなければならない。

 私は、あなたに会いに行く。あなたの目を見に行く。その瞳の奥に何があるのかを見定めにいく。性根を見に行く。

 我々は、この国を守り、継承していく責務がある。我々が、今、出す結論は、我々の子孫の運命を決するのである。この事、肝に銘じるべきだ。






                        


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