喧嘩の流儀



最近、喧嘩の流儀を知らないみのが増えてきて、喧嘩にならないのが困ったものです。
喧嘩慣れしている者同士なら、納め処や限度がわかりますが、それがわからないからまともな交渉ができない。嘆かわしいですよ。

度胸もないのに相手をなめてかかるから痛い目に合う。

気の小さい奴ほど見境をなくしてトコトンやってしまう。
気の弱い奴ほど過激になるからとよく注意された。

喧嘩慣れした奴なら頭に血が上っとていてもどこかで喧嘩の落とし処、手の打ち方を考えているものである。
さもなければ際限がなくなる。

世の中は修羅場である。
話せばわかるとか、良心に訴えればなんて言ったそれが通用しないのが世の常なのである。

大体、話し合いをしてはならないというのが市場の掟なのである。一方で話し合いで決める事を禁じておきながら、話せばわかるはない者である。
市場は戦いの場なのである。

やれ証拠がなければとか、裏付けがなければなんて言うけれど、証拠や裏付けは、あったに越したことはないが、それよりも何よりも、相手が何を怖れているかを知ることが先決なのである。

強姦事件がいい例である。
警察に被害届を出せないと舐めているから高いびきで寝られるのである。
被害届が出されたら警察が証拠を集めてくれる。

強姦をしたらおしまいになるはずである。それがそうならないのは、被害者が強姦されたことが伏目になるような環境があるからである。だから、強姦されたのに脅されるものまでで来る。
強姦されたのに脅かされるのは、む強姦されたことで負い目を負わされるからである。
だから本来被害者であるはずなのに、一生たかられたりもするのである。

自分の弱みとなるか、相手の弱みとなるかは、自分の心次第。
断固戦うのだという姿勢を見せれば弱みも弱みでなくなる。

自分が強くなれば自分の弱みにを自分の強み、相手の弱みに変える事もできる。

これは外交も同じ。ただ迎合しているだけでは国は守れないのである。

勝つだけが目的ではない。負けても自分が優位に立てる事もあれば、勝って潰される事もある。

大切なのは、最終的に自分は何を得たいかである。

ただ何もしないでズルズルと全てを失うような生き方だけはしたくない。




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