希   望


若い社員と話をするのは楽しいですね。
僕にとって一番充実している時間ですね。
現場の人間と話していると教わる事ばかりですよ。
現場の事は現場に聞けが鉄則ですからね。
どんな人間にもそれぞれ人生や思い考えがあって、馬鹿にできないですよね。
いいとか、悪いとかではなくて、いい例が女性に対する考え方ですね。
異性や子供の教育方針は、絶対に譲りませんからね。
だから、僕は、社員教育も同じだと思うのですよ。
現場の職長というのは、絶対に妥協しませんから。
女に対するつきあい方や子供に対する躾け、夫婦に対する考え方を聞いていると一人ひとりの思想が露わになりますよね。
そうなると自分だって正しいか、どうか。
だけから、何が正しくて何が間違っているかではなくて、相性の問題ですよね。
その点だけは、よくよく考えてやらないと・・・。
僕はなるべく決めつけないで、支店の状況をよく見ないといけないなと思っています。
女にもてる奴は、確かに営業には向いています。でも統率者としてはね。
女たらしというのは、む人間に対してどこか冷めている。冷たいですね。
かといって全然もてない奴は人情の機微通じていないし。
最近思うのですけれど結局日本人は義理人情を重んじているなと・・・。
やっぱり心の痛みを感じながら、なおかつ、相手と向き合える人間でなければ指導者には向いてませんね。

今日も言ったのですけれど、今の日本人と言うより戦後ですね。
焼け跡はとか、団塊の世代。彼らは、反権威、反権力の権化ですね。
だから、反抗と反対の意味を取り違えている。それと、指示命令と強制ですね。
学校教育の現場が一番おかしい。
これから指導的立場に立つ人間は、これを取り違えては駄目だと。
反対するのはいいけれど反抗する事は許されない。
指示・命令に対して反対意見を言うのはいいけれど、無断で従わないのは許されない。
約束が守れない時は、速やかにその由を言って変更を求めるのはいいけれど、黙って約束を破るのは、背信であり、反抗ですね。
この点は、専務の世代も理解できないですね。
だから無意識に反抗をする。
まあ、我々の世代は反逆を是としていましたから、自分のまいた種なんですけれど・・・。

多くのコンサルタントさんが勘違いをしているのは、
働いている人間の絶望感ですね。
彼らの多くはやる気がないとか、やってこなかったわけではなく。
やろうとしてもできなかったという事ですね。
上に立つ者の多くは優秀なんですよ。
働いている人間、特に、我々のような業界の人間は、やろうとしてもできなかった人間が多いんですよね。
そこで彼らは深く傷つき絶望しているんです。
そこに共鳴共感してやらないと彼らは気持ちが離れていってしまうんですね。

僕はそのことを学生時代に強く感じ、いま、若い連中にもつよく感じるんです。
彼らは絶望している。

最新の教育技術もいいんですが、
でも、今の子たちにかけているのは、人間として生きていくための基本ですね。

コンサルタントさんは人の意見を聞けと言いますが、僕から言わせればコンサルタントさんの方が人の意見を聞くべきなんです。
働いている子達のどうにもならない失望、絶望。
そういった失望、絶望の種をまいているのは自分たちなんです。
経営者も成功者だし、教える側の人もエリート。
だけど働いている者のほとんどが劣等生なんです。
劣等感の塊。

エリートはやればできる。とやってきて実現してきた人たち。
でも劣等生の多くは、やってもやってもできなかった。
その点に気がつかないと独りよがりになってしまうんですね。
成功者は、自分にできたんだからおまえにもできるなんですね。
でも、成功者は特別なんです。成功者のまねは普通の人間にはできない。

そういうしょうもない人間とどうつきあっていくか。
皆、競争社会に疲れているんです。
ほっといてくれって。
そういう人間をどうやって前向きにするか。
彼らは、経営者が思っている以上に強かですよ。

だからといって、
ついてこれない人間は、駄目だから切り捨てるというのではタマネギの皮むきみたいなもので誰もいなくなる。
世の中には、期待されたくない人間もいるんですよ。

経営者は、だいたい自分が成功者だと思っているじゃあないですか。
だからどうしたって押しつけがましくなる。
でも、下から見れば余計なお世話みたいなところがありますね。

何の取り柄もないけれど、まじめに実直に自分の職務をやり遂げる。
そういう生き方だってあってもいい気がするんですね。
僕はそういう社員を尊敬している。たとえ、自分の部下でもです。
皆が皆、経営者になる必要もないし、経営者になりたいと思っていない者だっている。
大事なのは、一人ひとりが自分信念に従って生きられる環境ですね。僕はそういう環境を作れればいいと思っているんです。
自分らしい生き方が許されなくなったから鬱病が増えた気がします。

先生は、マクドナルドの話していましたが、いつかは、マクドナルドは今みたいになると思っていました。

以前は、どの町にも小さな喫茶店があってそれぞれ店が主張していた気がします。
定年退職したら、あるいは、脱サラして喫茶店を開く、そんな夢を持った人たちも結構いました。

でも今は、スターバックスやマクドナルドといったチェーンに駆逐されてしまった。
言ってみればささやかな夢ですよ。
そういう夢を奪ったあげく、町を味気ないものにしている。
学生街には、学生街の喫茶店があったものですよ。

今の子達が夢を持てないというのは、我々が夢を壊してきたからじゃないですかね。
成功するだけが能じゃあない。

生きるという事ですね。
自分の人生を生きるという事ですね。
それが大事なのだと・・・。

だから、だから社員一人ひとりが何を望んでいるのか。
なにに傷つき、何に絶望したのか。それを聞き出し、共鳴共感し、そして、改めて人生を見直してその人らしい生き方をさせてあげられたらと思うのですね。
それが、真の支援型リーダーだと思うのです。

優秀な経営者は、優秀な指導者、教育者でもあるわけで・・・。

僕は、マクドナルドは、働いている人が、またお客様が真に望んでいるのは何かを見失ったから、今みたいな状態になったんだと思います。
それは、全国を全世界を一律に考えている様なチェーンストアのあり方こそ無理がある気がするんですね。
チェーンストアが悪いというのではないんですね。多様性を受け付けようとしない社会が悪いと思うのです。

静岡で飲むコーヒーも東京で飲むコーヒーも、ニューヨークで飲むコーヒーも同じ味でいいなんて味気ないでしょ。
静岡で飲むコーヒー、東京で飲むコーヒー、ニューヨークで飲むコーヒーが同じ味でいいとは僕は思わない。否、同じ味であってはならないのです。
それは人間一人ひとりの顔が違うようにですね。

社員教育でも、先端的教育を否定する気も、また、教育の進化も否定はしませんが、多くの企業は、目新しさに気をとられて本質を忘れているように思えてならないのです。
社員教育にも流行があります。目標管理がはやったかと思えば、QC活動、小集団、感受性教育、鬼の特訓とその時代じだいに何かしらの流行がある。
確かに、教育にも流行廃りがありますが、教育の目的は、不変的だと思うのです。つまり、教育は流行ではない。相手は生身の人間なんですね。
それに、個々の企業には個々の企業の状態や歴史、環境があり、一つの型にはめた教育はできないと思うのです。創業期の企業も成長期の企業、成熟期の段階に入った企業に同じ教育をしても意味がない。何万人も擁する企業と百人足らずの企業とを同列に語る事もできない。
だいたい経営というのは思った以上に泥臭い事です。きれい事では片付かない。生々しい事ですね。
だから一律に決めつける事は危険です。
何が、相手に合った教育なのか。
相手の事情や状態、規模などをよくよく見極めないと大変な事になる。診察もせずに診断をするような事は狂気の沙汰です。
症状も状態も見ないで診断をするのは医学ではなくて占い、超能力の世界です。そんな事を一流大学を出た人間がわかっていない。

自分は、世の中って優秀な人間だけで回っているとは思っていないんですよ。
どんな先進国だってしょうもない人間は三割はいる。
そのしょうもない人間にまっとうな人生を送らせるのも会社だと思うのです。
そして、我々の業界というのは、そのしょうもない人間の吹きだまりみたいなところがあって、毎日確かに泣かされますよ。
でも、そういう人間を養っていくのも会社の仕事だと思うのです。
だから、ただ会社をでかくすればいいなんて僕は思っていないんです。

むかし、メーカーの連中にいったんです。
あなた方は、付加価値、付加価値といいますが、そんな高度な仕事ができない人間はたくさんいる。
単純な肉体労働しかできない人間はたくさんいる。そういう人間をどうするかの方が僕には重要なんです。
あなた方は馬鹿を馬鹿にするが、この世の中、馬鹿な人間がいて成り立っている部分がある。
彼らだってそんな事自覚していますよ。
でも車の運転しか能がない人間、容器を転がすしか能のない人間がいるから我々の業界は成り立っている。
一流の大学を出た人間が容器を転がせますか。
しょうもない駄目な人間というけれど、僕はそういう人間が好きなんです。
そういう人間をただ切り捨てていけばいいという気にはなかなかなれないんです。
それに長い事経営者やっていると馬鹿な人間にもそれなりの愛着がわいてくるんですよね。
馬鹿な子ほどかわいいと言うじゃあないですか。






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