確乎不抜(かっこふばつ)


 山の木々の間から澎湃(ほうはい)として雲が沸き上がり、霊気が全山を包み込む。まだ明け切れぬ朝の黎明は、気を鋭くする。高原の澄んだ空気を胸一杯に吸い込むと、自ずと気力が体に充満する。静かに、旭が昇るのを待とう。

 浩然の気を養う。

 浩然の気とは、例えば、朝、山頂から山々を見た時、澎湃として立ち登ってくる朝霧のように、天と地の間に充ちる気である。爽やかで、晴れ晴れとした気である。ひろやかで、活力に充ちた気である。

 私が浩然の気という言葉を知ったのは、福沢諭吉が、上野戦争の時、大砲の音に狼狽する弟子達を前に、浩然の気を養えと言ったという故事を聞いたのが最初である。その時、浩然の気とは何だろうと思った。

 そこで、浩然の気を調べたら、孟子にたどり着いた。

 孟子は言う。
 自(みずか)ら反(かえり)みて縮(なお)からずば、褐寛博(かつかんぱく)と雖も吾惴(おそれ)れざらんや。自(みずか)ら反(かえり)みて縮(なお)ければ、千万人と雖も吾往かん。

 顧みて、自分に非があれば、どんなに賤しい(いやしい)、とるに足らない人間でも恐懼(きょうく)するが、顧みて自分が正しいという確信があれば、この世の中全てを敵にまわしたとしても、吾一人になっても、突き進んでいく。

 これは、世界共通の志である。西においては、ドンキホーテがこの代表である。

 確乎不抜の志を持て。志があれば、自分を保つことができる。志は、自分の心の帥(すい)である。

 同じ問答で孟子は、浩然の気をこう言っている。
 言い難し。その気たるや、至大至剛(しだいしごう)、直を以て養い害(そこ)なうことなければ、即ち天地の間に塞(み)つ。その気たるや、義と道に配す。是れなければ餒(う)う。是れ義に集いて生ずるところの者にして、義襲いてこれを取れるに非ざるなり。行い心に慊(こころよから)ざるあれば、即ち餒う。

 まあ、説明しにくいことだが、浩然の気とは、大きくて、ひろやかで、強大な気だな。真っ直ぐに育てれば、天地にミチミチる。浩然の気は、爽やかで、新鮮で、清くて、純粋だ。だから、清く正しいものから離れられない。清く正しくなければ浩然の気ではなくなるからだ。浩然の気は、純粋で清らかな気が集まったもので、浄化しようとして、きれいにしようとして集めた気ではない。だから、少しでも不純な気が混ざれば、消えてしまう。

 気が塞ぎ、なんだか元気が出ないとき、バイクをぶっ飛ばして気分転換をするだろ。その時、気力が全身に漲り、精気が宿るだろ。そうすると、爽やかな気分になって指の先まで気が充ち、英気に満たされているように思うえるじゃないか。そう言うのを浩然の気と言うんだ。
 体中に気力が漲ると本気になれる。志すことができる。それが志の源。生きると言う事は、気魄なんだよ。その気力、気概、鋭気を体の中に蓄える事を浩然の気というんだ。

 ところでどれくらい気という言葉が出てきた。日本人にとって気という言葉大切なんだ。気を籠めれば、心となり。心が籠もれば神となる。何でも、やる気を出せば、やれる。やる気がなければ始まらない。気合いだよ。

 気持ちの持ちよう、有り様で、全てが変わる。

 気を塞いではダメだ。気が塞いだら、気が萎える。気が萎えたら、何でも萎縮してしまう。臆病になる。やる気が出ない。英気を養うんだ。
 気が塞ぐと姿勢まで悪くなる。勢いがなくなる。気勢が上がらない。そうなるとやることなすこと裏目に出る。鋭気を養わないと。

 鋭気を養うのは、環境だ。えげつないテレビ番組や不正義がまかり通るような社会では、清く正しくなどと言うと笑われてしまう。嘘をついても良いのならば、正直者は馬鹿を見る。いつまでも虐げられていたら性格までねじ曲がってしまう。心を真っ直ぐに持つことすら困難である。しかし、だからこそ、ドンキホーテとなって鋭気を養うしかないのである。 

鋭気は、志の兆(きざ)しなり。
 世の中に受け容れられない時、下積みの時、学を志した時、挫折した時、挫けそうになった時、志が大切なのだ。全て気を塞ぎ、心を塞いでしまう。確乎不抜の志があってやる気が起こる。

 その時こそ、気配がする。志ある者は、その気配をかぎ取り世に出てくるのである。運気とはその様な気である。そして気分が高揚し、気配りをするのである。

 潜龍(せんりゅう)用うるなかれ。陽気潜蔵(せんぞう)すればなり。
 見龍(けんりゅう)田に在り。大人を見るに利(よ)ろし。
 君子終日乾乾(けんけん)す。
 或いは躍り出て淵に在り。咎なし。
 飛龍天に在り。大人を見るに利ろし。
 亢龍(こうりゅう)悔い在り。時と偕(とも)に極まるなり。
 
 今、夜明け前。山々に朝靄が立ちこめ、霊気が充満する。やがて、小鳥たちがさえずりはじめ、静かに、新しい日が始まろうとしている。その山の端に竜が潜む。やがて、竜は、邪気を祓って、天高く舞い上がらんとす。
 人よ、志を持て。確乎不抜の志をその時、人は竜に変じる。鋭気は、志の兆しなり。

参考文献
  「リーダーの易経」竹村亞希子著 PHP




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