戦 略 U

温暖化に代表される環境問題の深刻化は、安定供給と脱石油を柱としたこれまでのエネルギー戦略の見直しを迫っています。 
誰も護ろうとしない国や業界は、護りきれるものではありません。
今の日本人にとって、また、石油業界にとってこの国も石油やプロパンガスも護るに値しない国、業界かもしれませんが、私にとっては、全身全霊、命を賭けて護らなければならない大事です。
私は、血の一滴まで日本男児なのです。
国家とは何か。
今、重要なのは、エネルギー戦略です。エネルギー戦略の根底にあるのは、国家とは何かです。
国民という概念が確立する以前の時代では、国家という概念はありませんでした。
それまでは、国という概念ではなく、家という概念であり、国民という概念ではなく、家来、臣民、領民という概念でした。
国民という概念が成立し、国家という概念が確立しました。つまり、国家の根本目的は、国民の権利を護り、国民は国家を護る義務が生じたのです。
国民国家は、特定の一族や階級、勢力による権力に奉仕する機関ではありません。そこに国民国家の存在意義があります。
かつて、世界共産主義やワンワールド主義が隆盛だった頃は、世界を一つの市場、一つの政治機構に統合し、その過程で国家は、発展的に消滅させるべきだという考え方が支配的でしたが、今日では、個々の国家の働きを見直す傾向が高まっていると考えられます。つまり、国家とは、国民によって成り立っているのです。
故に、国家戦略は、国家の独立と国民の権利の護持にあり、エネルギー戦略の要は、国防と防災にあります。戦後、日本人から、この国防という概念が忘れ去られました。国防などと言うと、今でも、軍国主義者のように誹られる。
それが戦略なき国家を生み出した原因です。
かつて、日本は、石油によって戦い。石油によって負けたと言っても過言ではありません。
エネルギーは、最も国防に結びついた資源であり、世界は、エネルギーをめぐって時には、戦争まで引き起こしているのです。近代の歴史はエネルギーを巡る攻防に彩られているのです。エネルギー戦略を欠いた、日本は一歩間違うと世界から孤立しかねない状況にあるのです。
今でも、軍事システムの中枢を動かしているエネルギーは石油である事を忘れてはなりません。まだまだ原子力に依存している部分は小さいのです。だからこそ、我が国が石油問題と無縁になる事はできないのです。
少なくとも、エネルギー業界にいる者は、その現実から目をそらせるべきではありません。
エネルギーは、食料と伴に、国家の独立、存亡にも関わる資源である事は、どんな小国でも認識しています。どの様な小国でもエネルギーを国防、言い換えると軍事と切り離して考えてはいません。故に、エネルギー業界は、好むと好まざるに関わらず、国防、防災をその根本に据えなければ戦略は立てられないという事になります。
この様な観点からするとエネルギーは、戦略物資であり、国際政治の動向に極めて敏感に反応する物資だという事です。
そして、資源は、あらゆる地域に偏在するのではなく、特定の地域に偏って存在しているという事です。しかも、極めて政情が不安定な地域に多く存在する。
また、輸送路が長く、政情が不安定な地域を経由しなければならない。
故に、エネルギー資源が地理的要件は、地政学的にも重要だという事です。
これらがエネルギー戦略を立てる上での前提です。
国内のエネルギー産業は、上流、中流、下流の三つの階層に大きく分けて考えられ、それらの局面を一律に語る事はできません。
上流部門は、資源の調達とエネルギーの生産、中流は、流通、そして、下流は消費です。
エネルギー戦略の根本は、リスク管理です。
上流部分では、エネルギー源の調達と生産の確保にあり、エネルギー資源の多様化と調達拠点の分散が戦略の要諦となります。中流部分では、エネルギーの効率的配給と国防、防災体制の確立です。そして、消費部分では、エネルギーの効率的な消費です。

経済は、生産と分配と消費の各要素から構成されています。現代経済の問題点は、生産の効率性ばかりを求めて分配や消費の効率性を蔑ろにしている点にあります。

それを象徴としているのがエネルギー業界の構造と問題です。即ち、上流部分は、生産構造を中流部分は、分配構造を、下流部分は消費構造を具現化し、それぞれの局面で効率化を計ると同時に、全体の整合性と均衡を保つように全体の仕組みを調整する。それがエネルギー戦略の基礎となるのです。
現代社会では、消費の多様化しています。それに対して、大量生産、大量消費型経済は、生産の標準化、均一化を促します。
また、物流に関しては、情報通信技術の発達は、消費の多様性に対応する事を可能としています。しかし、既存の市場の仕組みは、情報通信技術の発達に必ずしも追いついていない。
この消費と生産の不整合が経済を停滞させる原因を作っています。
エネルギー源は、石油、石炭、薪炭、天然ガス、プロパンガス、原子力、メタンガス、水素、水力、風力、地熱、太陽光等です。
エネルギー源で言えば、特定の資源に偏らないようにする事が戦略上の要点です。
プロパンガスは、誤解があると思いますが、石油随伴ガスだけではありません。天然ガスからもシェールガスからも産出できます。プロパンを石油の随伴とのみ見なすのは偏見です。
エネルギーの供給の中核を握っているのが、石油、ガス、電力てす。
ガスと電力はネットワーク型産業でもあります。都市ガスと電力は有線ネットワークであり、プロパンは無線ネットワークです。
私は、エネルギー戦略上においてプロパンガスの位置づけが不当に低いと考えます。少なくともプロパンガスは、都市ガスと同じくらい主要なエネルギー資源の一つである事は間違いありません。ところが、プロパンガスは、認知すらされていないような状況に置かれ続けています。
そして、プロパンガスの位置づけが不当に低いが故に、エネルギー戦略が均衡を欠いているのです。
プロパンガスは、補助的、補完的エネルギーと位置づけられてきましたが、地域によっては、主要なエネルギーとしての役割を果たしてきました。また、災害時には、復興の中軸的エネルギーとしての役割を果たしてきたのです。
ところが、プロパンガスに対する認識は、どちらかというと田舎くさい、遅れたエネルギーというものです。しかし、プロパンガスは、小口、分散型エネルギー、携帯可能な、簡易なエネルギーとして先端的な役割を果たしてきたのです。それはアウトドアや野外のイベントなどに多目的に使用されてきた実績を見ても明らかです。
戦略上の要諦は、集中と分散にあります。何を、何処を集中し、何を、何処を分散するのか。
現在の趨勢は、集中から分散へと移行しつつあります。
つまり、全体を一つの仕組みやシステムによって制御しようという思想は、過去のものになりつつあります。制御の手段は、単一ではなく、複合的なものでなければならない。そうしないと部分的な問題が全体に迅速に波及し、全体が制御できない状態に陥る。
飛行機で言えば、フェールセーフという思想です。
船は、船底を幾つかの壁で仕切って浸水しても全体に及ばないようにしています。
独裁主義、全体主義、統一主義、単一主義ではシステムは成り立たないというのは、先端を行く情報通信の世界では常識となりつつあります。だからこそ、大型コンピューターではなく、パーソナルコンピューターが普及したのです。
国防上の観点からしても広範囲、また国全体を一つの体系、例えば、電力や都市ガスで統一するのではなく、幾つかの制度や仕組みを複合的な組み合わせる事で、リスクを分散すると伴に高効率な社会を建設する。それがエネルギー戦略の基本です。つまり、単一化、集中化ではなく、複合化、分散化です。
時と場合、状況に応じて選択し、使い分けられる体制を作る事が肝心なのです。
大都市のように住居が密集した地域においては、都市ガスは効率的です。しかし、住居が密集していない地域では、プロパンガスの方が効率的なのです。同時に、国防、防災拠点としての可能性は、プロパンガスの方に分があります。
一定の地域を防災、国防という観点から画定しておくと全体のシステムが機能しなくなった時の備えになります。
ネットワーク社会というのは、中央で集中的に処理する時代から個々の自立した単位によって分散的に処理をさせる事の方が、より柔軟で効率の良いシステムが構築できる。
また、リスク管理上においても、一極集中によるリスクを軽減するためにリスク分散を計るという思想が主流になりつつあるのです。
それは、国家の仕組みで言えば、中央集権的国家から、連邦主義的国家への移行、首都機能の分散化という思想です。欧米では常識のように国家を建設する時から計画されている。
そして、それが社会主義国、全体主義国と自由主義国との決定的な違いであり、だからこそ、旧社会主義国と自由主義国の間にまだまだ越えられない壁がある。その点に関して、日本人には認識の甘さがあると考えられます。
これらの事を考えますと、国家を一つのエネルギー体系に統合しようとするオール電化というのは滑稽なほど馬鹿げた戦略です。
オール電化は、元々原発を基礎とした思想です。しかし、原子力というのは、核廃棄物も含め、管理が非常な困難なエネルギーの一つだという事を忘れてはなりません。

メジャーがこの国を見捨てたという点を日本人は甘く考えすぎです。メジャーに支配されるのも問題ですがメジャーに見捨てられるという事の持つ意味もまた深刻なのです。
再生可能エネルギーには限界がある事が解ってきました。まだまだ実用化には時間がかかります。その間、従来のエネルギーによって運用していかなけれはなりません。そこは、やはり、エネルギー政策の本道である自然に優しい徹底した省エネルギーの追求だと思います。エネルギーの無駄をなくす事です。

プロパンガスに対する偏見の一つに小口、分散型、郊外型、無線ネットワークだから駄目だという決めつけがありますが、逆であり、小口、分散、郊外、無線ネットワークだからこそ重要なのです。また、それ故に、行政の保護もないのに、一時は、都市ガスより以上のシェアを確立したのです。
その点を日本の行政も業界も見落としています。
都市ガスでもプロパンガス会社を兼営しているが、地方では、プロパンガス業界を代表するような企業になれたのだとも考えられます。
都市ガスとプロパンガスは補完的な関係にあり、背反的な関係にあると決めつけるのは短絡的だという事です。
ローカル・エリア・ネットワークでは、プロパンガスが圧倒的な強みを発揮したのは、プロパンガスそのものの持つ働きによったのです。
この一事を持ってもプロパンガスの有用性は立証されているのです。
そして、その重要性は、これからも、増す事はあっても減少する事はないのです。あるとすればそれは業界と行政の問題です。
プロパンガスに対する偏見は、むしろ、大都市を是とし、地方を非とする文明論的な問題です。つまり、地方に対する偏見です。
しかし、大都市集中、都市問題や環境問題、少子高齢化が深刻になりつつある今日、そして、情報通信システムが飛躍的に発達した今日、地方や郊外の果たす役割が見直されつつあります。雨読晴耕という言葉があるように、文化は、自然豊かなところにこそ育まれます。プロパンガスや太陽光、燃料電池、ガス発電、高効率ガス器具などを複合的に組み合わせる事で、省エネ型社会を構築する事、また地域社会では、国防拠点、防災拠点を要所要所に設置する事が、プロパンガス業界の戦略の要諦と考えます。
ネットワーク社会では、地域全体から、個々の家単位でのシステムを確立し方が、効率的で制御しやすい仕組みが構築できる時代へと移行しつつあるのです。また、それを促す事こそ国家戦略の要なのです。
大量生産、大量消費時代が今日のような環境破壊や経済の混乱を引き起こしているのです。
競争、競争と言いますが、競争は手段であって原理ではありません。無原則、無分別な競争は、かえって、寡占独占を招き、競争の持つ働きを弱め、消滅させてしまいます。
競争すべき処は競争すべきですが、手を結ぶべき処は手を結ばせるべきなのです。規制を緩めるべき処は緩めればいい。しかし、規制を強化すべき処は規制を強化すべきなのです。
何でもかんでも大きければいいという時代は終わらせなければならないのです。
量から質の時代へ、大量生産、使い捨てから多品種少量、リサイクル時代へと移行させなければ、国家のみならず人類にとっても深刻な事態を引き起こす事になるでしょう。
エネルギー産業に携わる者は、この国を護るという気概と誇りを持つべきなのです。 
日本は世界から孤立しようとしています。世界から見捨てられようとしているのです。
日本は、国際的に潜在的核兵器保有国と見なされているという自覚がありません。
核兵器保有に関しては、第一に、核を保有するという意志。第二に、核兵器を保有し、運搬し、管理するための技術、第三に、核兵器を生産するための資源の三つの要件が必要だとされていますが、日本は、核兵器を保有するという意志を除く二つの要件を満たしている国なのです。
その国が、原発の管理一つできないと見なされれば、国家の独立が危うくなります。
福島の問題は、もう一民間企業の問題に留まらず。国家の独立に関わる問題だという認識に立つべきなのです。
国家の威信を賭けて片付けなければならない問題であり、この問題を片付けられないとなれば、日本は、北朝鮮やイラン以上の脅威を国際社会に与えると考えるべきなのです。

私は、悔しい。プロパンガスというのは、これ程、この国のために尽くしてきたというのに、未だに認知すらされていない。その原因は、我々にあるのです。




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