戦 略 T

戦略というのは、元々軍事用語であり、軍事を中核として政治・外交、財政等の資源配分、計略を組み立てる事を意味します。
故に、相手国、自国の戦略を理解する上では、国防目的、軍事目的を明確にして、それに対する方針、方策をどの様に組み立てているかを読み解く事が大切なのです。軍事は、国家戦略や政策の下位にあり、或いは、延長線上にある一手段と考えるべきです。国防は、国家戦略の根幹をなす部分であります。
ところが、戦後日本は、非武装中立を国是とした為に、この軍事という観点が国家戦略や政策から抜け落ちてしまっています。故に、国家戦略が展望や方向性を欠いたものに陥りやすいのです。
戦前の日本は、統帥権の問題によって戦略が政治や外交から遊離したものになり、戦後は逆に軍事的な話はできないという事で、戦略が不明確になりました。どちらにしても国家戦略がバランスを欠いたものだという点では変わりはありません。
国防や軍事を聖なる事として、或いは、忌避すべき事として聖域化したら戦略を立てる事はできません。
独立国において軍事を考えずにいられるというのは、特殊な国であり、世界においては、日本以外例を見ないと言っても過言ではありません。どんな小国、弱国においても独立国においては、軍事は、枢要な課題です。むしろ、小国、弱国の方が軍事力が権力の中枢を担っていると考えるべきです。
軍事という視点を欠いたら戦略は立てられません。
軍事というのは、一般的な生活とは異次元の活動です。一般法と軍法は違うし、価値観も違う。軍事行動は、現在、現時点でも展開中であり、軍は、軍独自の論理や価値観、状況判断、優先順位で行動をしている。この点を鑑みないと戦略の持つ意味は理解できない。軍事行動は、特に、国際的な力関係に左右されるし、また、内圧、外圧の問題もある。戦略はその延長線上にあるのです。
戦後の日本は軍事行動を明確に意識せずにこれた。それは、国際的に見ても歴史的に見ても希有な現象である。それを、ごく当たり前な事として認識しているところに、日本人の危険性が隠されているのです。
軍事を考えずに六十年以上も独立国として存在する事などあり得ない。
そのあり得ない国が日本であり、その日本が繁栄を謳歌している。
それは許せないという事になるのです。そうなると極めて危険な状態になる。
例え、我が国が戦力を持たないと仮定したとしても周辺国が軍事力を持つ以上、軍事という視点を欠く事はできません。況や、今の日本は、世界有数の軍事力を有する国です。その点を前提として考える必要があります。
また、我が国は、潜在的核兵器保有国として見なされてもおかしくない環境にあります。
どんなにきれい事を言っても戦略は国際政治力学の上に成り立っていて、徹底した現実主義の上に構築される性質の事なのである。
国防は理想ではなく。現実です。
戦後の日本は、この軍事バランスという視点を欠いたまま国際政治を見てきた。それが、世界から見ると異様な事である事にすら気がついていない。日本人にとって軍事は、他人事なのである。だから、中国や韓国の動きも読めないのである。

軍事が経済に与える影響も無視してはなりません。軍事の近代化が経済の近代化や発展を促す事があるのである。例えば、海軍が燃料を石炭から石油に変えた事が今日の石油文明に与えた影響は大きく。飛行機のような発明や進歩にも軍事が与えた影響が大きい。なぜなら、軍事は巨大な投資と国運を賭けた戦い、新兵器の開発競争が国家の存亡、国民の生命財産に直結しているからである。だから万金を費やす割に抵抗が少ないからである。
それに、軍は、最強の暴力装置だからである。軍が本気になったら誰も止められなくなる。軍が暴走すれば軍事費は歯止めを失い。国家財政を破綻させてしまう危険性もある。故に、戦略が重要となるのである。

戦略の基底を為すのは、予想と構想です。どの様な想定、展望に立って、どの様な国を建設するのか。それが戦略の源となるのです。戦略の大本は国防思想です。つまり、どの様に国を守るかです。その前提はどの様な国にするのかです。
我々に与えられた資源には限りがあります。また、それを活用するためには、数多くの制約があります。限られた資源を与えられた制約条件の下に如何に効率よく活用するかが戦略の要諦なのです。
故に、戦略を構成する要件は、情報、兵站、作戦なのです。
そして、アメリカの戦略の要は、情報と食料と石油なのである。
兵站は、武器を除くと食料とエネルギーの調達と補給が要です。つまり、エネルギーは戦略の中核を為す物資であり、エネルギー戦略は国家戦略の基盤です。

国家、人類に対する忠誠心なき者は、エネルギー業界においては、存在そのものが悪です。

日本は、アメリカの中国、ロシアに対する緩衝地帯としての役割を担っています。冷戦時代は、アメリカの盾として枢要な働きをしていた。冷戦が終了した現代でもその役割に基本的な変わりはない。問題は、戦略上における重みの差に過ぎない。
かつては、台湾より先、フィリピンまで緩衝地帯はあったが、フィリピンから撤退後は、中国が素早く進出し、現在の南沙諸島問題の種を蒔いたという事を忘れてはならなりません。尖閣の問題も対中と言うより、対米という軸足で考えると違う風景が見えてきます。

集団的自衛権もその延長線上で捉える必要がある。集団的自衛権がなくても日本が存在するだけで、十分、アメリカの盾としての機能を果たしている事を忘れてはなりません。その上で日本がとるべき施策を検討すべきです。同時に、我が国のプレゼンスを常にアメリカにアピールする必要があります。
この事は。日本が大国の狭間に位置している事を意味しています。大国間の間に戦いが始まれば、我が国の国土は戦場と化すのです。

日本の政治、経済、軍事の仕組みのプラットフォーム、基盤はアメリカ社会にある事を前提とすべきなのである。それが日本の独立の前提でもあります。
また、この事は、アメリカにとって我が国が単なる同盟国という以上の意味がある事を示しています。

この様な点を鑑みてアメリカは日本を見限るかと言うと、今の時点はあり得ないと考えて間違いないと思われます。なぜならば、アメリカは、中国と直接国境を接する事になるからである。中枢を後方に下げるという事は考えられますが、日本から撤退するという事は、考えられない。アメリカが日本から放棄する可能性あるとすればアメリカの政治体制が崩壊した場合に限られと思います。

日米関係を基軸とした上で、日本は、常に、アメリカ、中国、ロシア三国の力の均衡の上に成り立っているという事を前提としなければなりません。日本の戦略の基本です。

また、かつて社会主義国は、思想を武器に戦略を立てた。その標的が、教育、官公庁、メディアだった。その影響が未だに尾を引いています。

日本のエネルギー供給がなんだかんだ言われながらも安定的に供給されたのは、アメリカの世界戦略抜きには考えられません。日米関係を軸とした戦略を前提とすべきだと考えます。逆に言えば日本の役割が軽視されれば、日本のエネルギーの調達は危うくなります。戦略は常に相手がいて成り立っているのです。

日本は、戦後半世紀以上にわたって平和憲法の下、繁栄を謳歌してきた。しかし、これは、歴史的に見て、或いは、世界的に見てきわめて希な事例である事を念頭に置く必要があります。また、平和憲法によってこの様な状況を維持されてきたわけでもありません。
日本の豊かで平和な時代は、日本が能動的に、または、主導的に招いたわけではなく。主として、アメリカの都合、戦略、そして、世界の情勢が日本に有利に働いた結果です。日本が非武装を前提にして結果ではありません。
しかし、日本国民の多くは、無自覚に、或いは、意図的かは別にして、平和で豊かな状態が常態だと錯覚し、現在の国家戦略や将来に対する備え立てている。これは有事の際の備えを怠っているのと同じ事を意味する。
これまで地震のような災害すら少なかったが、阪神淡路震災、東日本大震災と立て続けに大災害にも見舞われている。さらに、原発事故が追い打ちを掛けて、これまでの日本の安全神話は根底から崩れ去ってしまったのです。

エネルギー戦略は、国家戦略の要です。なぜならば、エネルギーを欠いたら軍事システムはたちどころに機能しなくなるからです。エネルギーは軍事戦略上、死命を制する大事だと認識しておく必要があります。だからこそ、エネルギー戦略を考える場合、軍事という観点抜きでは意味がありません。
エネルギー戦略を考える上で、第一に、軍事システムを動かしているのは、今でも石油系エネルギーだという事です。第二に、エネルギーとしては、原子力は、極めて国防上、また、防災上、困難な問題を抱えていて、管理するのが難しく、敵対する勢力によって格好の標的にされやすいという事です。ただし、原子力を管理できるという事は、戦略上決定的な意味を持っている事を忘れてはならない。第三に、アメリカにとってカナダから、日本、台湾までは、アメリカ本土に対する緩衝地帯、盾の役割を果たしているという事です。そして、第四に、日本の軍事システムは、アメリカの軍事システムを共有している。第五に、米軍の基地が要所に点在している。故に、アメリカの戦略と連動せざるを得ない。第六に、日本は島国で、山間地帯が多く、地震多発地帯である。また、中国やロシアは、日本海を経由しないと太平洋に進出できない。第七に、エネルギーや食糧の自給率が低く、エネルギーの補給と貯蔵が重要な課題となる。また、エネルギーの輸送路の確保と国際的自由貿易体制の維持、拡大が戦略の要となる。
これらの事を前提として戦略は、考えるべきなのです。

エネルギーには、平時と有事の二つの観点から考える必要があります。
日本のエネルギー戦略は常に、平時に力点を置き、有事という発想に乏しい。だから、安定供給であり、脱石油という考え方に囚われているのです。しかし、多くの国エネルギー戦略は有事を核にしたものであり、だからこそ、シーレーンであり、中東和平なのであり。短絡的に脱石油ではありません。それは、アメリカであろうと、中国であろうと、ロシアであろうと変わらりません。
日本の戦略が以上なのは、有事を設定していないという点にあります。戦略は本来、有事を核として考えられるべきものです。それが最初から有事を想定していないというのし戦略としての要件を満たしていない事を意味します。
その端的なものがエネルギー戦略です。エネルギー戦略において日本は有事を想定しているとは思えない。
有事を想定していたら、もっと石油に対しても原子力に対してもナィーブになるはずです。
平時においては、原子力というのは、有効でも、有事には、リスクにもなる事を十分に配慮しておく必要があります。
また、有事の際には、単一な体系による集中処理は、極めて不利に働きます。有事においては、複合的な体系による分散処理が有利なのです。
何かに偏った仕組みには、限界があります。エネルギー源も多様な選択肢を日頃から用意しておく事が肝要です。

電力やパイプラインというのは平時に有効でも、有事には、不利に働きます。
回線やパイプライン、配管のメンテナンスに想像以上の費用と労力がかかる。更新投資も馬鹿にならない上、停電、漏電の例を見ても解るように、一つの回線がダメージを受けただけで広範囲のダメージを受ける。
また、敵対勢力による攻撃にも弱い。幹線を遮断してしまえば、全体の機能に影響を及ぼす事が可能だからです。幹線を遮断するだけでなく、要所を破壊されれば、全体の機能が麻痺する上に、復旧するのに時間がかかる。
それに対してネットワークは、一つの回線が破壊されても他の経路が確保される事で全体に及ぼす影響を最小限に止める事が可能なのです。有事に有利に働くからネットワークは発達したのです。
ネットワークしておけば、一部の線が遮断しても被害が特定の区域に限定できるからです。電力やパイプラインをネットワーク化するというのは困難です。それが可能なのは、プロパンガスです。
また、オール電化にしてしまったら、電源を断たれ停電したら何の対応策もとれない。暖房も、灯りも、料理も、通信も、お湯も沸かせなくなる。国家の機能が停止するのです。
それが福島の原発事故で象徴的に起こった事です。
いくらエネルギー源を多様化してもエネルギーの分配システムが一元的な体系だと部分的なダメージが全体に波及する怖れがあるのである。
それに対して、いざという時には、太陽光やプロパンガスを組み合わせれば、局所的に対応する事が可能であり、復旧も早い。発電も可能です。区域を画定し、防災や国防の拠点を構築する事も可能です。
だから、プロパンは災害有事に強いエネルギーだと言えるのです。




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