哀しい



一つ一つ、親父との出来事が、目を閉じると瞼に浮かんでくる気がします。
時折、聞こえてくる救急車のサイレンの音を聞くと父を救急車に最後に乗せた時のことが甦ってくるのです。
日赤病院の脇を通る時、父は今どうしているかなとフッと思ったりする。
本屋に居る時、親父が喜ぶ本はないかなと、目で追っていて、ハッとすることがまだあります。
そう思えば、長いような、短いような、まだ父は、病院で伏せている気がします。又、そう思いたい。
人間は、哀しい。
生きている時も、死んでしまっても、何も確かなものはないのですから・・・。
ただ、信じるか、否かの問題です。
全てのことは、不確かで、曖昧模糊としているのです。何が正しくて、何が間違っているのか。それすら誰にも解らない。それでも、何かを信じて、生きていかなければならない。
だからこそ確かさを求めざるをえないだと思います。
そこに、ものの哀れの正体があるのかもしれません。
父は、何度も、何度も、正しいと教えられ、信じてきたことに裏切られてきました。
戦前は、国のためと命懸けで信じてきて、敗戦によって全てが否定され。戦後は、ただ、ひたすらに家族のためを思って働いてきたのに、いつの間にか古い価値観が通用しない時代になってしまった。
親父にとって戦後生まれの人間の価値観にはついていけなかったのかもしれません。
父は、切なかったのかもしれません。
何を信じて、誰を信じて良いのか解らなくて・・・。
親父は、自分の限界をよく承知していたんだと思います。
だから、父は、不器用な生き方しかできなかった。
でも、大きな時代の変化についていけずに、その時代の背後にある意味を、結局、理解できずに死んでいったのだと思います。
真面目にやっていればどこかで報われる。ただ、そう実直に思い込んでいたのではないでしょうか。

生きるというのは何なのでしょう。
老いて朽ち果てるように死んでいくのも、少壮の時、志しに殉じるのも死は、また、同じ死である。
死に様にどの様な違いがあるというのでしょうか。
若い頃には、無邪気に正しいと信じ、自分手も汚さずにいられても、年を経ると正しい信じてきたことが怪しくなったり、また、それが間違いだと気がつき、過去の行状が重くのしかかると言う事が間々あります。
戦争に行ってきた人達の多くは、その十字架を背負って生きてきたのだと思います。
でも、誰がそれを責められるというのでしょう。
父は、生涯、一兵卒だった気がします。

若いが故に純粋で歳をとると不純になるなんて言えるでしょうか。
それは、ただ単に経験が少ないと言うだけです。
我のみが正しく、先人達は、悪いと責めるだけでは、状況はよくならない。
その時その時に最善を尽くすのみ。
責任を持つとはどう言うことかを知らない癖に、責任、責任と言うのは、無責任の極みである。
先ず相手をよく理解し、状況を正しく認識した上で是々非々を明らかにし、改めるべきところを改めるべきなのです。

戦争でも、財政でも、先人達が残してきたことの後始末は自分達でしなければ成りません。なぜ、戦争を、赤字財政をと死んだ人間を責めても改善されるわけではありません。
全ては、自分の腹に収め、いざとなったら、一切の責任をとる。必要なのは、その覚悟だけです。

人を責めてばかりいると自分すら保てなくなるものです。
大切なのは、自分が何をするかであって他人をとやかくするゆとりは私にはない。
だから一切合切自分の責任です。

今の世の中は惻隠の情も武士の情けも通用しなくなりました。

世の中は、力無き者に冷淡になりつつあります。
しかし、本来、弱き者を護り、助けあっい、かばい合って生きていくのが社会の目的だったはずです。
老いて力がなくなれば、家族や世の中からうち捨てられてしまう。

現代人は、優しさをどこかに置き忘れてきてしまったようです。

仕事や金では割り切れない絆を断ちきってしまう。
無理矢理、割り切れないものを割り切ろうとするから越えられない溝が出来てしまう。
義理人情の世界の世界に立ち戻るしかない気がします。
そうしなければ、家とか、故郷と言った日本人が築いてきた共同体は崩壊してしまう。
そして、行き着く先は、無縁社会です。
隣は何をする人ぞの世界です。
最後は金の問題ではないんですよ。生き様の問題です。

長いこと、会社を経営していると、何度も、何度も、信じていた者達に裏切られ、背かれ、又、騙され、欺かれ続けられる事が宿命のように起こります。しかも、全ては結果でしか評価されない。それが経営というものです。
だから、親父は、何かに縋るように、ただ一途に、先代の社長や母を信じていた気がします。信じていなければやっていけない。
その親父の切なさ、哀しさが身につまされるのです。
信じようとしても信じられない。解ってはいるのだけれども、出来ない。そのもどかしさに身悶え続けていたのではないか・・・。
昨日、正しいと信じてたことが、今日は間違っていたという事もある。
父達が生きた時代は、半世紀以上も右肩上がりの経済情勢の中で育ってきたのである。
それが二十年以上もデフレになるなんて予想だに出来なかったのでしょう。
晩年は、ゴルフだけを生き甲斐にし、その後ゴルフが出来なくなった時、親父の心の中で何かが終わってしまったような気がするのです。
人を信じ、組織的に仕事をするためには、自分のある一部分を切り捨てていかざるを得ないのだと最近気がつきました。自分と他者との折り合いをどうつけていくのか、そこに心労の種がある気がします。
何も信じられるものもないが故に、人と人との関係に現代人は、疲れ切っている。
今でも、親父が何を信じ、どういう生き方がしたかったのか、本人に聞いてみたいと思う衝動にかられるの事があります。
親父、親父、一体何を信じていたの・・・。
本当のところ親父は、どうしたらいいのか解らずに切なかったのではないかと・・・。
その切なさは、私とて同じです。
これから何を信じたらいいの・・・。
気がつけば、そう親父の仏前で問うている自分が居ます。
今となっては、親父の気持ちなど私には、わかりようがない。
大体、何が正しくて、何が間違っているのかは、結局、誰にも解らないのだと思います。
ただ、ハッキリしているのは、私が幼い頃、父が私を愛おしんで大きな力でいつも抱きしめていてくれたことだけです。
力強く高い高いしてくれた父に嘘偽りはありませんし、無邪気に父の愛を受け容れた私の心にも嘘偽りはなかった。
そして、父の残した温もりと父の残り香だけが、私の心の奥底で哀しく、哀しく、想い出として刻み込まれているのです。
だから、私は、何が正しくて、何が間違っているかではなく。父の残してくれた記憶だけを信じて生きていくしかないのです。 確かな真実として・・・。






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