財政破綻


あれ程、財政財政と騒いでいたのに、なぜか、嘘のように、誰も財政の「ざ」の字も言わなくなってしまいました。財政財政と騒いでいたのは、嘘だったのでしょうか。それとも財政問題は片付いたと言えるのでしょうか。財政が深刻な状態というのは、嘘ではないし、まだ片付いてもいない。それが事実です。
この問題を見て見ぬ振りをしようとしている財界人がいるとしたら、財政は持続可能だという確証があるのか、それとも諦めてしまったのか。最初から国事に関心がないのか問うてみたい。
ただ国難が迫っているという事だけは、忘れないでほしいものです。

財政破綻は、最初は好景気を装ってくるから厄介なのです。地価や物価の上昇も好感をもって迎えられるでしょう。景気も一時的にはよくなる。しかし、それが財政破綻の始まりだと言われているのです。
先ず地価の上昇として現れ、次に、物価の上昇になり、そして、所得に対して上げ圧力がかかる。また、長期金利の上昇として現れる。
地価や物価の上昇、所得の上昇、金利の上昇が交互に相乗的に進んでいく事になります。景気が過熱してきて暴走を始めても緊縮政策をとりようがない。なぜなら金利を上げる事は、財政にしても、中央銀行にしても、市中銀行にしても自殺行為に等しいからです。
長期金利が上昇してくると国債の金利が上昇してきます。国債の上昇は、一方で金融機関の国債が不良債権化し、他方で、財政に深刻な影響を及ぼす事になる。
現在、金融機関、特に、地方の中小金融機関は、大量の国債を保有している。この国債の資産価値が下がる事になる。資金需要が高まり、金利が上昇してくると逆鞘状態に落ち込む。資金の貸し付け需要が高まっても国債の存在がクラウディングアウト状態を引き起こす事になります。
もっと怖いのは、日銀の当座預金が溶けだす事です。それだけで通貨の供給量が五倍に跳ね上がってしまうからです。かといって中小金融機関は、逆ザヤになる事を承知して国債を持ち続ける事が出来るかという事になる。金融機関は民間です。いくら経営者が納得しても市場や預金者、株主が承知しなくなる。それこそ、かつての山一、ドラマの「不発弾」や「ハゲタカ」みたいに経営者が犯罪者に仕立てられてしまう。前門の虎、後門の狼状態になってしまいます。
中央銀行は、売りオペをしたくても多額の損失を覚悟しなければならなくなる。また、長期金利の上昇は、国債の需要の低下を招く危険性がある。その場合は、国債を売るどころか買い支えなければなくなる。
金利を上げて金融を引き締めなければならない時に、逆に金利低下策をとらざるを得なくなり。それがインフレの昂進に拍車をかける。
二千十三年にかかれた東京財団の提言にもこの長期金利の上昇が第一の関門とされている。この時に思い切った緊縮財政、デフレ財政が採られるかどうかが鍵を握っています。
ただ、緊縮財政と言っても財政で削減できる部分は限られています。思い切った発想の転換がはかれなければ、明らかに限界があるし、もし、可能だとするのならばすでに実行されているはずです。
しかも、東京財団の提言のあった時点では、まだ異次元の金融緩和はされていなかった。要するに日銀はまだ大量の国債の購入には踏み切っていなかったのです。大量の国債を中央銀行が所有しているという事は、市中銀行だけの問題ではなく、金融制度全体の問題になってしまったという事です。中央銀行の金融政策に縛りがかかっている。この点を鑑みるといかに今の財政がいかに深刻で、出口戦略が難しいかがわかります。
東京財団も何が引き金になれかは特定はしていませんが、景気の好転による経済成長に対する期待感、日銀が目標としている物価二パーセントの上昇を達成した時を上げています。日銀は、公約通り出口戦略に着手せざるを得なくなるでしょうから。その他に考えられているのが経常収支の赤字です。

財政問題は、構造的問題です。だから、厄介なのです。

財政部門が、資金不足、負の部分を一手に引き受けてきた。それが支えきれなくなって貿易収支も赤字にと転落しつつある。最大の原因は、実物市場に資金が還流しない事です。
資金の出口をふさいでおいて、過剰に資金を供給した結果が今の状態です。余剰に供給された資金が金融市場の滞り、金融を圧迫しつづけている。
そして、部門間の歪みは拡大し続けているのです。

二千十八年八月現在、日本の家計資産残高は、速報値で千八百二十九兆円。この数値は結果です。原因ではない。
日本の家計資産残高によって国債は、賄われ財政を維持しているという論評があります。しかし、これは間違いです。 家計資産残高の範囲なら財政は、維持できると考えるのは早計です。
財政赤字を埋めるためには、他の部門、家計や民間企業の貯蓄、資産を財政に回す事です。その手段としては、増税、歳出の削減、インフレーション、資産、債務の転移、制度の変革などです。

究極的な手段は、資産税です。最近ではキプロスの場合です。キプロスでは、財政破たん後、預金封鎖が実施され、その後最大で六十%を超える預金課税が実施されました。日本でも終戦直後に九十%を超える預金課税がされた。しかし、これは暴力的です。

忘れてはならないのは、バブルのを促した要因の一つが相続税で、相続税は、資産税の一種だという点です。

資産税は、私的所有権に係るという点です。強要する事は、自由主義の根幹に抵触する事でもあります。しかし、財政が破たんした場合、資産税を導入せざるえなくなる場合もあります。
家計資産から相殺せざるを得なくなるからです。
不良資産の定義を資産価値に基づいてされたら資産価値が暴落した時、金融機関は「お金」を融通する根拠を失う。それで金融機関の責任を問うのは酷である。しかし、現実は、金融機関に皺寄せがいって結局金融悪説、下手すると金融無用論まで飛び出す。
金融の重要性がわかっていない。金融マンがどれ程金融の信用を守ろうとしたか。今それが音を立てて崩れ去ろうとしている。

金利を否定する事は利益を否定するのと同じで事です。

出口戦略は繊細だとしても、財政問題、特に、将来像に対しては、明確にすべきだと思います。残されている時間はあまりないのです。

年金は、本来家計の金融資産です。
年金を公的資産とする場合は、税に根拠をおくべきである。なぜならば、公的資産とした場合、年金の働きは、所得再配分に置かれるからである。保険料を徴収する以上は、年金は、金融資産と見なすべきです。その場合、積立金は、預託金であり、運用益によって利息部分は賄われることが原則です。
高齢者は、自分で収入を得られなくなったら貯金を取り崩す事で金融資産を減らす。そして、相続税によって財政に金融資産を返還してきた。
預金を恒久的な財源に置き換え老後の心配をなくす。それが年金本来の目的です。だとしたら、年金は、所得の再配分と言うより長期資金の活用、そして、保険と言う性格の方が強い。財政が破綻したら年金資産も守れなくなります。

最近、何かと言うとぶっ潰してやるとか、ぶっ壊してやると喚き散らす人が偉い人の中に増えて気がする。中には、本当にこの国の土台をぶっ壊してしまった人もいる。
学生時代だった頃を思い出す。あの頃、何でもかんでも破壊しまわった連中がいた。
ぶっ壊すとか、ぶっ潰すというけれどぶっ壊した後何を生み出すのか。ぶっ潰した後どうするのか・・・。いつだってぶっ壊すだのぶっ潰すだのと言っていた人間で創造的な仕事をしている人にでお目にかかった事がない。破壊するだけ破壊して何も創造的な事をしてこなかった。

誰かが踏み止まらないとこの国の独立は危うくなるのです。けじめをつけないといつまでも問題は解決されない。

私は、情けないのです。恥ずかしいのです。
二十歳にも届かない若者が小さい飛行機に爆弾を抱え敵艦に突っ込んでいった。
それは、自殺でも自爆テロでもありません。ただ純粋にこの国を守ろうとしたのです。
どれだけ多くの若者が我々のために戦い、この国を残して言ってくれたか…。それを思うと悲しく、切なくなるのです。

それなのに我々は何をしているのか。何が何でも、この国を守る。この国をよくするという気迫がない。
今日、国の為とか、世のため、人の爲などと言うと笑われてしまう。勲章や金や地位の為だと言えば皆納得する。情けないし、哀しい。
命がけでこの国を守ろうなんて言う政治家や財界人がいますか。
誰も守ろうとしない国は守り切れません。

今の政財界のトップは、裸の王様同然です。自分が裸である事にも気が付いていないし、気が付いたところ、恥ずかしいとも感じない。
国の指導者と言うのは、名誉職ではありません。身命を賭してこの国の主権と国民の安全、財産を守り抜く責務があります。それは天命です。
この国を導くのが指導者ならば、この国を滅亡させるのも指導者です。
もう一つ忘れてはならないのは、日本の財政破綻は、日本だけの問題で終わらないという事です。世界は、日本に責任ある対応を求めている。それが出来なければ、日本は、主権、即ち、独立を失うでしょう。

歴史は、変えられない。過去に戻ってやり直す事はできない。しかし、歴史から学ぶ事はできる。

戦争は、結果であり、原因ではありません。問題は、戦争の原因であり、人は知らず知らず戦争の原因の種をまいている。

戦争の真の原因は経済です。経済的理由があるから戦争になるのです。
経済とは生きるための活動だからです。子孫を増殖する事も含めて生きる為に必要な活動を経済と言う。経済は、金儲けではありません。「お金」を儲けるのは、市場経済下では「お金」がなければ生きられないからです。生きるための活動が「お金」によって制約されるからです。
野生動物でも生存圏を侵されたら争いになる。だからこそ、交易は、外交の始まりなのです。
経済をするという事は、平和を維持する事です。命かけて経済を守る覚悟が今求められているのです。
私は、血の一滴まで日本人です。逃げはしません


                content         


ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2018.9.19.Keiichirou Koyano