死に物狂いで


今の日本の危機感のなさが不気味なのです。まるで何事もなかったような。政治家も、官僚も、経営者も、メディアさえもがあたかも認知症に陥ったかのごとく沈黙している。自分に都合のいい数字だけを羅列して、財政も、出口戦略について何も語ろうとしない。
しかし、肝心な事はなにも片付いていないのです。財政も、国債も、憲法問題だって、何もかも片付いていない。
財政をファイナンスし、財政規律が失われ、財政破綻、デフォルト、そして、財政インフレ、まるで絵に描いたように突き進んでいる様にしか私には見えない。
その責任を誰がとろうとしているのでしょうか 。
今の日本で最大の不良債権は、国債です。

なぜ、バブル崩壊後、不良債権が生じたのか。それは、資産価値、特に、地価の急激に下落したからです。
なぜ、年金問題が処理できないのか。金融機関の収益が悪化したのか。それは、ゼロ金利政策によって金利が取れなくなったからです。
なぜ、投資がされないのか。それは、資産価値の下落と収益力の低下によって民間の資金調達力が失われたからです。
なぜ、所得が上がらないのか。それは企業の規制緩和による過当競争によって収益力が低下したからです。
なぜ、デフレから抜け出せないのか。それは時間価値が作用しなくなり、市場が拡大均衡から縮小均衡へと転じたからです。
いずれも時間価値の問題です。

環境や前提条件が不良債権の原因なのです。不良債権を処理しようとしても前提条件が変わらない限り解決できません。真面目に不良債権処理に取り組んだものは、深入りすればするほど底なし沼に沈み込み、最期には責任を取らされ、最悪の場合、犯罪者にされ、全ての財産を剥ぎ取られていったのです。
中には、命まで奪われた者までもいる。残されたのは、金融マン、経理マン、経営者の累々たる屍と汚名だけです。

確かに、表には人間ドラマが現れる。しかし、本源的原因は、前提条件の変化であり、環境状況の変化、構造的変化なのです。
ただ、その本源的原因を生み出したのは人間ですけれど・・・。

結局、何時だって、割を食うのは一兵卒です。

何が何でもこの国を守らなければならない。どんなことをしてでもです。財政を破綻すれば国家の独立さえ危うくなる。韓国やギリシア見ればわかります。

誰も責任を取ろうとしていない。今、責任者にされるのは、スケープゴートのようなものです。しかし、誰かがこの難局に挑まなければこの国は救われません。

のるかそるかしかありません。真正面から問題点を直視して立ち向かっていくか。破綻を前提してとして生き残る事に全力を尽くすか。二つに一つです。いくら極端と言われても、現実離れしていると思われても他に選択肢がないとなればやらなければならない。できるかできないかの問題ではなく。必要性の問題です。

今の時代、何でもかんでも責任者出て来い。社長出てこいです。そして、大衆の面前で謝らせる。大衆と言ってもメディアですけれどね。そして、侮辱されても耐えなければならない。
志のない経営者なんていませんよ。私利私欲だけでトップに立てるわけではない。むろん権力闘争もあり欲もありも綺麗事だけではない。しかし、世の中の人間が言うように経営者の大多数が品性下劣で阿漕な人間ばかりだと決めつけられたらたまらない。
無論、悪党がいないとは言いません。
でも、大多数の経営者は志を持っているものです。
この国をよくしたいと心から思っている。それが反体制のメディアには気に入らないのかもしれませんが・・・。

兎に角この国がよくなればいいのです。名声とか、栄誉とか、地位とかそんな鬱陶しいもの欲しくもありません。
もう自分も六十を過ぎ何か世の中の役に立てればいい。国のためになれればいいそれだけです。
死に物狂いでこの国を守りたいだけです。


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