あけましておめでとうございます。

私は、時々、ふと、今まで自分は何をしてきたんだろうと思い悩むことがあります。
大切な事をやり残してきた気がするのです。
平穏で安逸な日々にかまけて、志をどこかに置き忘れてきたのではないのかと…。

本当に今年はいい正月でした。
天気も良くて…。
ここ数日は、急に寒くなってはきましたけれど、年初には、株価も上昇しましたし。
平昌オリンピックや駅伝の話題で盛り上がっていて本当に平和で、穏やかな正月でした。

でも、底に流れている本質的な部分は、何も変わっていないんですね。
前提となる事は何も変わっていないし。何も解決していない。
北朝鮮の問題だって、環境問題だって、財政の事も、国債の事も根底にある事は何も変わっていない。
ただ表面に現れている事に目を奪われて、その底にある事が何も変わっていない事を忘れようとしている。

その根底にある歪が抜き差しならないところまで来て、いよいよ、どうにもならなくなって、近いうちに表に現れてくる様に思えてならないのです。
確かに、バブル崩壊後、なんだかんだ言ってもとりあえずはやってこれました。
また、それこそ七十年以上も戦争に係る事もなく来れました。

でも、それ自体が特殊な事で…。いつまでも続くはずがありません。
だからこそ、今、私たちに必要なのは志なのです。
私たちの父母は、どんなことがあっても生きていけるように、動じないようにと厳しく躾けてきてくれました。
じゃあ自分たちは、子供たちに、後輩たちに先人の教えを伝えてきたでしょうか。
我々の後に生まれた子たちは、あの戦争も、戦後の混乱も経験せず、ひたすら、進歩、発展、成長、豊かな生活しか経験していないのです。
飢餓だの、貧困だの、苦労なんていくら口で教えても伝えようがない。それが恐ろしいのです。

私は物のない時代に育ってきました。
冬は寒さに凍えながら、それでも外へ出て駆け回ってきました。貧しさが怖いわけではありません。
物がない事が辛いのではありません。貧しくても物がなくてもそこで自分たちなりに工夫して、何とかしてきました。
どんな時でも、どんな状況に置かれても常に前を見て状況を打開していこうという情熱がなくなるのが怖いのです。
美味しいものを食べたられないのが辛いのではありません。自分が欲しいものが手に入らない時に我慢できなくなるのが厭なのです。

私が怖れているのは、子供たちが、いざ逆境に立ち向かっていかなければならない時、ただ、立ちすくんで、何もできずに、成すすべもなく、時流におし流されて行ってしまうのではないのかと…。

先日、弊社の専務が鹿児島の知覧へ行ってまいりました。知覧から飛び立っていた若者たちに思いをはせる時。あの子たちは、私の息子ぐらいの年頃だったのです。でも、彼等に、同情する余地もまた、可哀想にと憐れむ資格も我々にはありません。

今、何を為すべきなのか。何ができるのかをただ自分に問うだけです。

ここにいる一人ひとりがリーダーシップを発揮し、未来を切り開かなければならない時がすぐそこまで来ています。
その時にこそ、日本人の真価が問われるのだと今から覚悟しています。
我々は、日本人なのです。そして、私は血の一滴まで日本男児なのです。
ただ、決断あるのみ。

その決意を新たにしたいと思っています。



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