自存自衛


多くの人は、戦争被害の話をする時、戦争当事国の事ばかりを問題とする。しかし、最も悲惨なのは、戦争当事国よりも戦場となった国々である。

戦場となった国々は、自分たちの都合によって戦っているわけではない。戦場となっただけなのである。

なぜならば彼等は植民地だったからである。独立国は、自国の安全と主権を守るために戦うが、植民地には、自国の主権と安全のために戦う権利が認められていない。要は、宗旨国に安全と主権は依存しているのであり、戦うのは、自国の安全と権利のためではなく。宗旨国の安全と権利、権益を守るためである。植民地は隷属しているのであり、自分の主権や安全は最初から保障されていないのである。植民地は、自国の安全や主権のために戦う事は許されていない。それが植民地である。

植民地や奴隷は、資産でしかない。もちろん貸借対照表上に載せられるし、売り買い、貸し借りの取引材料にされる。家畜や設備並みなのである。]
主旨国が必要とあれば、例えば金に困ったり、戦争に負けたら、売り買い、貸し借りの対象となる。その事に反論する権利は、植民地にも奴隷にも与えられていない。
奴隷は、客船で移動するのではなく。貨物船で運搬されるのである。子供が生まれても子供を自分の意志で育てる事は許されない。子供も、資産なのである。
むろん、植民地や奴隷は、自存自決の権利、権力は与えられない。
そんなことをしたら家畜が自己主張をはじめ、いう事を聞かなくなるからである。家畜は、黙って言う事に従い、最終的には、料理されればいいのである。それが植民地であり、奴隷の立場、身分である。

他国が侵略してきても植民地はなすすべを持たないのである。

アメリカは、アメリカが守る必要があるところを守っているのであってアメリカが守る必要がないと思えば、いとも簡単に引き上げる。また、紛争相手国と取引もする。引き渡す事だって売り渡す事だって躊躇しない。
他国が侵略してきても守るべきところ守るが守る必要がないところは守らない。
また、内乱やクーデター、革命などが起こっても自国の権益に影響が起こらない限り、干渉はしない。

また、戦争の悲惨さばかりが強調されるが内乱や革命の悲惨さはあまり語られない。しかし、シリア、イラク、ロシア革命、南北戦争などの例が示すように悲惨な差においては、内乱も戦争もさほど変わらない。ある意味で身内の争いだけに内乱の方が悲惨かもしれない。

自国の主権、独立を自力で守ろうとしない。また、手段を持たない国は独立国としてみなされない。

国防に対する自国の理念、思想を確立し、それをもって統制できる状態にすることである。非核三原則とか、「国家安全保障戦略」といったものがこれに相当する。
しかし、日本は、国防に対する根本がズレている。そして、そのずれを修正、是正しないままに観念的なところで国防を論ずる傾向がある。
国防は、現実である。仮想現実ではない。また、敵も現実であり、敵を想定する事さえ許されなければ、国防方針は打ち立てられない。
まず現実に立ち返って国防理念を確立する必要がある。
国を守るという事は、空想ではない。現実である。

いかに自衛隊の存在が大きいかを理解しておかなければ、自存自衛はできない。

また日本は、周辺国にとって潜在的脅威となっている事を自覚しなければならない、考えようによっては、北朝鮮やイラク、イランより危険な国と思われても仕方がない。それは歴史の問題でも過去の問題でもなく。現実の問題である。
なぜならば、日本は、大陸弾頭ミサイルや核兵器を短期間で開発する事も実戦配備する能力もある。それだけでも、脅威となりうるのである。
他国に脅威を与えていながら、自分が危険視されている事に無自覚ならば、脅威を感じている国から陰に陽に圧力を加えられる。友好国、同盟国だって例外ではない。むしろ、友好国や同盟国の方が厳しい場合もある。
日本人は、他国に脅威を与えている事に鈍感である。無自覚で鈍感だから他国からの攻撃に対して無防備なのである。

自衛隊の存在があるから、他国は日本を攻めてこないし、侵略しようという意思も軽々には持てないのである。
アメリカの庇護下にあるから、日本の独立は守られてきたわけではない。自衛隊が存在したから日本の独立と主権は守られてきたのである。

自衛隊が日本の自由と独立を守ってきたというのは、明確なる事実であり、日本人以外の国では常識です。
自衛隊がなければ日本はアメリカの植民地、良くて衛星国となったでしょう。
そうなったら、日本の自由と独立なんて絵空事です。

平和憲法。日本が武装放棄をすれば世界が平和になるというのは、一種の信仰としては、妥当性はあってもそれを現実でとするものが本当にいるとしたら妄想家、夢想家ですね。
正常とは思えない。戦争に反対する事を否定しているわけではありません。自衛隊員の中にも戦争に反対する者はいくらでもいる。何せ、戦争が起こったら最も最前線に立たされるのですから、現実的立場に立って戦争に反対する者がいてもおかしくない。
ところが、今のマスコミは、一切そんなことを求めようとしない。
自衛隊員は全員、好戦的であるように言いふらす。その半面で、自衛隊員だって人の子、危険な戦場に行きたがるはずがないと自衛隊員の名誉を傷つけるような事を平然と言う。
覚悟なくして自衛隊員になるものなどいやしない。むろん、いろんな事情を抱えているとしても自衛隊の何たるかを知らずに自衛隊員になるものなんいるはずがない。
それは警察官だって消防士だって同じ。使命感もなく金のためにマスメディアに就職をするものはいくらでもいるかもしれないが、少なくとも自衛官や警察官、消防は、その仕事の性格からしても何らかの使命感を持っているはずである。

自発的に武装を解除し、非武装にするなどと申し出た政治家がいたとしたら、それこそ売国奴であり、国家に対する反逆、裏切りである。

宗旨国は、自国の安全が脅かされない限り植民地を守る責任も意義もない。宗旨国が撤兵をすればたちまち軍事的空白地帯ができ、自存自衛できない国は、他国に侵略されるか自壊するしかない。
国の内外に対してどんなことをしても国家の独立と主権を守るという決意を持ち、その能力を持ち合わせている組織が存在している事が知れ渡っているからこそ日本の独立は守られるのである。
日本の独立や主権は、信仰によって守られているわけではないのである。

日本を攻撃したらただでは済まないと思うから他国は侵略してこないので、北朝鮮は、善意や好意で日本を攻撃をしてこないわけではない。

歴史的事実に基づいて領土問題が片付いたことはない。最終的に領土問題に決着をつけるのは、戦争か取引である。
歴史的事実は名分でしかないからである。

日本の平和を守ってきたのは自衛隊である。
子供でも分かる道理です。


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