何を守らなければならないのか


戦死者二百三十万人、民間人を含めると三百十万人。なぜ、これほど多くの日本人が犠牲となったのか。彼等は、単に愚かだったからというのだろうか。彼等はいったい何を守ろうとしていたのか。日本人が忘れてはならない事。
終戦記念日が近づいてくると戦争の悲惨さを訴える番組が増える。そのような番組は、戦争の悲惨さを訴えた後、だから、戦争は嫌だと締めくくるのが常である。
戦争は悲惨だからいやだと言えば、戦争がなくなるのならばいい。しかし、いくら戦争は嫌だと言ったところで、戦争がなくなるわけではない。
我が国が望む望まないに限らず。戦争を仕掛けてくる国はあるのである。
我が国の都合、国民感情だけで戦争がなくなるわけではない。
戦争を真の原因を知り、それを正さない限りに真の平和は訪れない。
平和は、虚構ではなく、現実なのだ。
現実の生臭さが常に纏わりついている。

戦前の軍人と自衛官とでは、根本的な考え方が違う。戦前の軍人と自衛官とを同列に語るのは、自衛官を愚弄している。戦前の軍人と自衛官を同等に扱うのは悪意である。
自衛官を戦前の軍人と同じように語る事は、我が国の国防にいい影響を与える事はない。

周辺国が日本に対してどのような勘定を持っているか、善意正義愛情をもって接してくれるか、悪意敵意怨恨をもって接してくるかは、相手国の都合であって我が国の都合ではない。
相手国の都合に合わせていたら、我が国の信条、正義は守れない。
相手国に我が国の信条、国是を押し付ける必要はないが、かといって相手国に媚び諂って我が国の信条、国是を曲げるのは間違いである。
これだけは忘れてはならない。我が国は、自力で独立を守った有色人種最後の国であり。我らはその末裔だという事を…。

私は、以前、アメリカ大統領に手紙を書きました。

『人は常時、善悪の世界にいる。しかし、神は善悪を超越した存在である。
他人の善と悪とを直接知ることはできない。
なぜなら、人は、自分を装い、偽ることができるからである。
何を、善とし悪とするかは、自分の問題である。
他人が何を善とし、悪とするかは、推し量る以外に手立てはない。
真か偽かは、神の問題ではない。なぜならば、神は、装う必要も偽る必要もないからである。又、何を真とし、何を偽とするかは、自分が主体的に判断するしかない。
つまり、何を真とし、偽とするかは、主観の問題である。真か偽かは、神の問題ではなく、自分の問題である。
何を罪とするかは、最終的には、自分の問題なのである。

日本人は、第二次世界大戦を自存自衛の戦いだったという。中国人や韓国人は、侵略戦争だったという。日本人にとって確かに、自存自衛の戦いだったとしても戦場にされた国の国民が侵略だと言えば、侵略戦争なのだろう。

しかし、自存自衛と言い、侵略と言ってもそれは人間の世界の問題であり、神の世界に元々国境だの領土だのはない。空を飛ぶ渡り鳥たちに国籍など関係ないのである。

領土問題は、欧米では、取引の問題だが、アジアでは、歴史の問題である。
歴史的問題では、妥協点は見いだせない。なぜならば過去程不確かなものはないからである。
領土問題は、歴史に基づいて話し合い妥協できる事ではないではない。歴史は解釈の問題であり、領土問題は実利の問題だからである。
大体、歴史によって領土問題を解決することはできない。結局、歴史問題は平行線をたどるだけである。
領土問題を解決するのは、最終的には力である。しかし、日中韓が三つ巴になって戦えば、極東の力の均衡は破れる。その結果、泥沼の争いになることは目に見えている。
また、アメリカも無事ではいられない。アメリカも、争いに巻き込まれざるを得ないくなる。
アメリカにとってそれは、国防戦略を根底から覆してしまう程の大事である。今、三国が果てしない戦いをすることは人類にとって破滅的な事態を招く事は容易に予測がつく。
中韓、韓日、中日、いずれの間にも領土問題がある。反日で中韓が結束してもそれは一時的な問題である。問題は思想である。
重要なのは、各国の国益である。何が国益なのかを政治家は、よく熟慮すべきである。妥協点のない争いを続けて戦争に持ち込むことが国益に叶うことか。よく考えるべきである。

時には、沈黙することも重要な意味を持つ。

一番愚かなことは、些細な偶発行為によって世界中を巻き込んだ破滅的な戦争になることである。
人類は、今、狭い小部屋の中で爆弾を手にして言い争っている様な状態なのである。誰かが、爆弾の起爆装置を作動させたら、誰も生き残ることはできないのである。次の世界大戦に勝利者はいない。

戦争の理由など、神の世界には無縁である。
人類を、戦争によって悲劇的な状態にしたのは人間なのである。

歴史、歴史と言うが億千年もさかのぼれば、国境など跡形もなく消え去ってしまう。
領土など、神から奪い取ったようなものである。
歴史は、所詮、人間が作り上げたものだ。
記録も又人間が作り出したものだ。
領土を争うのは、人間の都合に過ぎない。
歴史から何を学べというのか。
歴史から学べることは、人類の愚かしさだけである。

我が国の為に戦って死んでい人々を私たちは、悪し様に罵ることは許されない。
なぜならば、彼等がなぜ、何の為に、誰の為に戦い、死んでいったかを知っているからである。
我々にできることは、思想や哲学を糾すことだけである。

たった一発の爆弾によって十数万人の日本人の命が一瞬にして失われたのである。
その悲劇を日本人は訴えることさえ許されない。
しかし、日本だけでなく、中国でも、韓国でも同じような悲劇があったのは事実である。大切なのは、過ちは過ちとして互いに認識する事である。』と…。

日本人が、決して忘れてはならないのは、日本は、自力で独立を守った有色人種最後の国だという事実である。
そして、日本の自由と独立は、三百十万人の日本人の魂の上に守られたという事である。三百十万人の日本人の命の上に我々の今日がある。三百十万人の犠牲の上に今日の繁栄がある。

戦わなければ平和は守れない。戦いは、武力、暴力、軍事力だけでない。
戦いは、戦時、有事の時だけではない。むしろ平時の時にこそ真の戦いはある。
真の戦いに敗れた時、戦端は開かれるのである。

誰も守ろうとしない国を守り通す事はできない。

日本の自由と独立を守ってきたのは自衛隊である。日本の自由と独立と平和を守ってきたのは間違いなく自衛隊です。
戦後長きにわたって自衛隊員は黙々と我が国の平和と独立と自由を守ってきた。
周辺国は、それ故に、我が国の独立と自由を尊重し、恐れもしてきたのである。
日本の自由と独立を守り通したという自負と誇りを自衛官は持つべきであり、確信すべきなのである。

私は、血の一滴まで日本男児なのです。



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