自由について
自由について
現代人は、自由という言葉が好きだ。何かというと、すぐ、自由、自由と言いたがる。そして、自由になりたいと叫ぶ。しかし、どれだけの人が、自由の真の意味を知っているだろうか。
自由主義。自由経済。言論の自由。ちまたには、自由という言葉が氾濫している。現代社会では、自由といえば、たいがいのことが許されてしまう。それほど、自由という言葉には、現代社会において魔力がある。それなのに、どれだけの人が、自由の言葉の意味を明確に答えられるであろうか。結局、大多数の人は、自由という言葉を、自分勝手に解釈し、自分の都合のいいように、使っているのである。
自由とは、人間の生き方の本質に、関わる問題である。つまり、人生いかに、生きるべきかと言う、根元的な問題に、関わる重大な要素である。生き様の問題なのである。自由を間違って認識すると、人生そのものを間違ってしまう。そういう問題なのである。だからこそ、自由とは何かを、明らかにすることは、生きていく上で、避けて通れない重要な問題なのである。
自由と自在とを混同している者がいる。自在とは、対象を自分の意のままにすることである。そういう連中は、相手を自分の思い通りにすることが、自由だと思っている。しかし、相手を思い通りにしようとすれば、するほど相手に囚われていってしまう。人は、自分の肉体ですら、自分の思い通りにはできないものだ。思い通りにしようとすればするほど、不自由さを味わうことになるであろう。
欲望を解放することが、自由になることだと、錯覚している者がいる。しかしそれでは、欲望の奴隷になってしまい。かえって、不自由な思いをすることになるであろう。欲望に身を委ねれば、飢え、かつ、渇く。飢餓は、最も不自由なことだ。
人生には、限りがある。欲望には、限りがない。限りある者が、限りないものを支配しようとすれば、己を失ってしまう。自己を失ってしまったら自由などあり得ない。
つまり、これらの在り方は、自由に見えて、実は、自由の対極に位置するものだ。
自由を求めながら、自由とはまったく正反対の方向に進んでしまう。求めれば、求めるほど遠く離れていく。なんと不幸な生き方であろう。なぜ、このような間違った生き方を選択してしまうのか。それは、自由の真の意味を知らないからである。
自由という言葉の意味を、正しく理解していないと、自分の人生を誤るだけでなく、周囲の人間をも巻き添えにし、重大な過ちを、犯させてしまう危険性がある。なぜなら、自由の概念は、現代社会の基礎をなす概念であり、社会制度の隅々にまで浸透しており、現代人の価値観、行動規範の基幹をも、支配しているからである。つまり、自由という概念は、現代人の人生すべてを影響下にいれていると言っても過言ではないからである。
今や、自由という概念は、現代社会の根幹にまでなっている。自由主義国にとって自由は、その国家の国是にもなっている。それでありながら、自由という言葉の意味は、曖昧なままである。ここに、現代社会の重大な落とし穴が、潜んでいる。
私は、これから、自由の言葉の意味を、明らかにし、現代社会に潜む問題点を、解明していきたいと思う。
では、自由とは、何か。自由とは、先に、述べたように、自己を解放することである。そして結果的に、自由の帰結するところは、自己実現にいたる。自己実現は、意志と愛によって達成される。故に、自由は、主体的な意志と愛によって育まれる。このような自由とは、必然的に、自己中心の究極的な在り方を、意味することになる。自由は、自分自身の問題なのである。
故に、自由の意味を知るためには、まず、自己、すなわち、自分を、知る必要がある。自由に生きるためには、自分とは何か。自分のあり方を見つめ直す必要があるのである。
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