自由について


自己実現


 自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の口で話し、自分の心で感じ、自分の意志で決めなさい。
 自分は、自分以外の何者でもない。自分に、変わって他人に、食事をしてもらっても、自分の腹が、一杯になるわけではない。自分に変わって他人に、学校の授業を受けてもらっても、自分が、学んだことにはならない。自分に変わって、他人に、芝居を見てもらっても、自分が、見た事にはならない。
 自己は、一個の独立した、しかも、完結した存在である。個人主義とは、この自己の独立を尊重したところに成立した思想である。個人主義をベースとした民主主義は、自己から派生した属性を、最大限に尊重することを、根本原理としている。故に、属性とはいえ、個人の価値観、すなわち、自己善や物理的属性である肉体を、最大限に尊重することによって成り立っている。
 自己実現とは、この世に自己を実現させていく事である。つまり、自己実現の本質は生きることである。生きることの意義を自己の存在から明らかにすることである。そして、自己を実現する過程で、自由も実現していくのである。生きることそれは、自由の証でもある。故に、自由は人生の究極的目的でもあるのである。
 自己は、肉体を通じて、外界に現れる。肉体は、自己と外界をつなぐ媒体である。ここで言う外界は、物質的世界である。物体である肉体も外界に属している。それ故に、外界に、自己を、実現していくための道具が、肉体なのである。
 自己は、肉体を通して、自己を実現していこうとする過程で、他との関係が生じる。この他のものが、対象である。このような対象との関係が、自己の実現を助けるものか、阻害するものかによって、自己は、その対象に対する価値基準を形成していく。このように価値基準は、自己と対象との関係によって形成される。自己と他との関係から生じる価値基準は、相対的なものである。つまり、絶対的な価値基準は存在しない。そして、自己を基本として成立する価値基準は、自己固有の属性である。つまり、善は、自己善でしかない。故に、個々の価値観は、相対的であったとしても、自己がそれを絶対的な体系として捉えた場合、それは、本質的に、絶対的なものと変わりがなくなってしまう。
 肉体を通して、外界に、自己を、表現していこうとすると、自己は、他との関わり、つまり、関係が生じる。そして、自己と他とを、分かつ必要が、同時に、生じるのである。自己と他との関係を認識し、保つためには、自己を超越し、自己の存在を保証する存在が必要になる。それが、神である。故に、神は、自己の必要性から生じるものであり、言い換えれば、神を、必要としているのは、自己なのである。
 自己を他と区別して認識するためには、自己を超越した存在が必要である。それが神である。神を信じなければ、自己と他とを分かつことができない。それ故に、個人主義思想には、信仰は不可欠な者である。
 自己中心的な考えを否定し、自己犠牲や献身的行為を賞賛する風潮がある。しかし、自己犠牲や献身と言うのは、自己の存在意義を突き詰めた、結果にすぎない。
 自己犠牲は、自己実現の過程で現れる。自己犠牲も自己実現の一表現方法にすぎない。つまり、服従や隷属、強制を強いられることによって自己の主体性や独立が守られなくなった時、人は、自由のために、戦わざるを得ない。自由のために戦うのは、自己中心主義者の必然的帰結である。そして、その為に、自分の肉体を失ったとしてもである。なぜならば、主体は自己の本質であり、肉体は、自己の属性だからである。その意味で自由こそ、自己実現の究極的姿であり、個人主義者の究極的目標なのである。
 自己犠牲は、外界と内面とが対立関係に陥いり、外界と内面との相克によって自己実現が不可能になった時、必然的結果として現れる。つまり、自由になるために必要となった時、自己犠牲は、現れるのである。それ以外の時に、自己犠牲を強いるのは、自己の主体性を崩壊させるだけであり、自己犠牲そのものを美徳とするのは、誤りである。
 自己犠牲は、意志と愛の結果であって、自己犠牲そのものが、目的ではない。
肉体は、自己とこの世とをつなぐ媒体である。媒体である肉体を失った自己がどうなるか、それは、私には分からない。肉体を失った後はわからないが、生きている時は、自己は肉体を通して自己を外界に表現していくのである。死後、自己はどうなるかわからないのは、肉体を失った自己は、外界に自己を表出することができないからである。表出できない以上、死後の自己は、推測の域を出ない。故に、ここでは、死後の自己については語らないことにしよう。
 基本的には、自己実現は生きているからこそできる。
 だから、自己実現において重要なのは、原則は、まず、生きる事。それも、自分のために生きる事。そして、自分が生きるために、他者を生かす事である。死んでしまったら自己を表現することは不可能になる。

                               content         

ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano