経済と陰陽五行(実績編)

企業経営


 現代の経済思想には、私的企業に対して偏見があるように思われる。私的企業は、必要悪であり、できれば自然消滅したいという認識が根底にあるように思える。社会主義や共産主義だけでなく、私的企業を容認しないと言う考え方は、資本主義の底辺にも流れている。企業の基本は、本来、株式会社であり、会社の所有者は、不特定多数であるべきだという思想である。
 それが企業の内的自律や主体性を認めない考え方にもなる。企業は、単なる機関であり、共同体でも、集団でもない。従業員は、一定の契約に基づいて雇われている使用人に過ぎないのである。

 しかし、私的企業は、共同体であり、人間の集団である。つまり、企業を形成する人達は人間であり、生活があり、人生があるのである。そして、人間の集団であることにより、企業には、社会的な役割があるのである。
 その社会的な役割抜きに企業の経済的働きは語れないのである。

 企業収益というのは、経済の資源である。個人所得も納税の原資でもある。適正な企業収益が確保されなければ、経済は、上手く機能しなくなるのである。安売りばかりを奨励するが、収入が減ることは、所得の減少を招き、消費の減退を招くことを忘れてはならない。

 企業経営は、一定の期間を単位として測られる数値に依って表現される期間損益が基礎である。この様な期間損益によって企業業績は評価される。
 しかし、実際の企業経営の存続は、資金の供給の有無によって決まる。資金の供給が停止されると企業は存続できなくなる。この点をよく理解して企業経営の実体は分析される必要がある。

 企業経営に対する認識も自他の関係を元として、主客、内外、表裏と言った段階を踏んで展開される。

 企業経営の実体を理解する上では、先ず、自他の関係を明らかにする必要がある。自他の関係とは、自己と対象となる企業との関係を設定することである。自他と対象となる企業との関係、即ち、自己の立ち位置や対象企業に対する認識度合い、分析の目的などによって分析段階の組み合わせ方や内容の設定に差が生じる。
 例えば、部内者と部外者では、内外の意味も入手できる情報の質、量も全く違う物になる。その陽と目的も必然的に違ったものになる。
 この様に企業業績に対する認識は、自他の関係によって決まる。

 部内者でも経営者層と管理職層、一般社員、生産現場では視点に違いが生じる。経営者を例にとると、先ず自他の関係を明らかにし、目的と課題を設定する。次ぎに、内外、主客、表裏、長短、正負、虚実、順逆の関係を分析していく。
 そして、これらを物と資金の流れに還元し、資金の供給が途切れないように計画するのである。

 現代の企業経営の文法は会計原則にある。主客の変換とは、経営を会計情報に置き換えることを意味する。

 経済的価値というのは、本来主観的なものである。主観的な価値だと、普遍妥当性は得られない。その為に、経済的価値を客観的な数値に変換する必要性が生じるのである。

 主客の変換とは、主観的データの客観化である。客観化とは、複式簿記の手続に従って会計情報へ置換する事である。会計情報への置換とは、収支を損益、貸借、キャッシュフローに置き換える操作を意味する。

 企業の活動は、形に依って相として現れる。企業活動を理解するためには、形相を知る必要がある。形と相は、位置と運動と関係として現れる。

 運動は、量と方向と、力が関係する。単に量だけの問題ではない。進む方向が、重要なのである。特に資金の流れは、流れる方向が重要となる。

 経営活動の基本は、位置と運動と関係である。故に、分析も主として位置と運動と関係を基礎として為される。位置は不易、運動は、変易、関係は簡易である。
 経営における位置は、主として比率によって測られる。又、運動は、回転運動である。そして、関係は、従属関係である。近代会計が前提とするのは均衡である。
 即ち、比率、回転、均衡が経営活動の基本である。

 会計上の資産とは、位置を示した数値である。収益は運動である。
 資産上で運動を表すのは、現金と現金同等物だけである。

 次ぎに内外の設定である。内外の設定とは、内部要因と外部要因の区分である。例えば、為替や金利、物価、原油、原材料の変動は外部に従属して変化する要因であるから外部要因である。それに対し、管理、販売経費や人件費と言った費用は内部で管理が可能であるからこれは内部要因である。ただ、何を内部要因とし、何を外部要因とするかは、多分に主観的な問題である。

 内外を設定する場合、何を内とし、何を外とするのかを定義する必要がある。内外を定義する場合、内外の境界線と範囲を明らかにする必要がある。境界線と範囲は、制約条件でもある。
 内外の境界線を設定する条件によっては、幾つかの経営主体を連結する必要性も出てくる。それは経営主体に対する定義もよるのである。

 内外の働きを明らかにするためには、個々の要因が、独立して変化するのか。何かに従属して変化するのかを先ず明らかにする必要がある。更に、従属的に変化する要因の場合、何に従属して変化するのかを明らかにする必要がある。

 経営活動を成立させている取引は、表裏の関係がある。それが複式簿記の基本である。即ち、売りには買い、貸しには、借りという反対取引が必ず存在する。そして、その反対取引が内部にある場合を内部取引、外部にある場合を外部取引という。内部取引と外部取引は、連鎖、連動している。そして、これが内外の関係にも影響を及ぼす。

 又、表裏の関係は、名目と実質の差を生じさせる。名目的な数値は虚であり、実質的な数値は実である。

 経営活動には、表に表される数値と、裏で働く数値とがある。表に表される情報を作成するのを財務会計と言い、裏で実質的に働いている数値を管理するのが管理会計である。

 総資本と総資産は、表裏の関係にあり、均衡を前提している。そして、総資産、総資本の拡張と収縮が資金の流れる方向を決める。総資産、総資本の拡張は、資金を流通させる方向に、総資産、総資本の収縮は、資金を返済する方向に働く。この方向をよく見極めることが経営者にも為政者にも重要となる。

 経営活動で重要なのは、資金の量と資金が流れる方向である。資金が投資に向けて流れる場合は、企業は拡大しているのであり、返済に向けて流れている場合は、成熟期、或いは、調整期に入っているのである。

 経営活動は、期間損益に還元される。その基準は長短である。つまり、経営活動を一定期間の中に収斂するのである。一定期間とは、時間の単位である。企業活動は長短によって区分される。その長短に区分する意味や目的を理解しないと企業活動は、理解できない。企業活動の最終的目的は長期的均衡にある。長期的均衡を測るために、短期的な均衡を求めるのである。この長期的均衡と短期的均衡の調和が企業経営の要諦である。
 ところが目先の企業業績は、短期的均衡として現れる。その為に、短期的均衡に捕らわれて長期的均衡を忘れ、資金の供給や停止が行われる傾向がある。それが産業や経済全般に深刻な影響を及ぼしているのである。

 経済のインフラストラクチャーを形成する財政や金融は、長期的均衡を前提として計画されるべき性格のものなのに、短期的利益ばかりに注目するきらいがある。特に、財政は、単年度均衡主義を採っているために、その弊害が甚だしい。本来、財政も金融も長期的展望、国家観に基づいて計画されるべきものなのである。

 企業の目的は、利益の追求だけにあるわけではない。大事なのは、企業が社会に果たす役割や働きである。利益は、企業が存続していく上での一つに指標に過ぎない。

 恒久的な問題なのか。一時的な問題なのかを見極めることである。

 期間損益が画定されると、正負の関係が生じる。即ち、単位時間内の損益が正負として表されるのである。ただ、正負、即、善悪、成否の関係ではない。短期的均衡は、長期的均衡に照らし合わせて成立しているからである。
 資金の収支は、即、企業の存亡に関わる。しかし、期間損益は、企業に資金を供給するか、しないかの指標に過ぎない。資金を供給するかしないかの判定は、企業の経営目的、社会的役割、長期的展望、支払い能力と言った要素を期間損益に加味した上でなされるものである。
 その為には、期間損益として現れて数値の中に潜む正負の働きを見極める必要がある。

 経営活動には、虚実がある。それは、現在流通している貨幣その物が虚だからである。つまり、現在流通している貨幣は表象貨幣であり、交換価値を表象して指標に過ぎないからである。貨幣自体が何等かの実体的価値を持つわけではない。紙幣は、紙に印刷された印刷物に過ぎない。即ち、貨幣は虚である。経営活動の継続は資金によって支えられている。その現金の実際的な物である紙幣に実体的な価値がないのであるから、会計上に表れる経営活動というのは虚である。
 また、経営活動は、期間損益によって表される。期間損益は、一定の期間内の経営活動を便宜的に切り取った数値情報であり、その為に、特別な処理が施されている。その部分は、一定期間に経営活動を集約するために行われた処理であるから虚である。例えば減価償却、繰延勘定、引当金処理、未実現損益などである。

 何が実で、何が虚かである。期間損益の中で虚の部分はどこに生じるのか。それを見極めることが金融や財政において重要な鍵を握る。その際、重要な要素が時間なのである。

 虚の部分の働きというのは、資金収支と期間損益の差によって生じるところが大きい。そして、その差は、時間に関係して派生する。

 会計情報上虚の部分を構成する要素は、信用取引に関わる要素と決算処理に関わる要素、そして、未実現損益である。

 元々、貸方は、資金の調達を意味し、借方は、資金の運用を意味している。
 更に、貸方、借方を消費と蓄積に分離する事よって貸借と損益の概念を生み出し、期間損益の概念を確立したのである。
 その際、貸借、損益どちらとも言えない灰色の部分を決算処理として仮想的に処理をした。
 その部分が虚の部分を構成するようになる。
 即ち、減価償却、未実現利益、繰延勘定、引当金と言った勘定である。

 虚の部分の働きを見るためには、経営活動全体の規模を知る必要がある。経営活動全体の中に占める虚の部分の大きさによって虚の働きを知る為である。
 経営活動全体の規模は、総資産に費用を足すことによって求められる。

 虚実は、経営に働く力に順逆の働きをする。それが経営活動の長期的均衡、短期的均衡の調和に影響するのである。

 順逆の働きは、何に連動しているかに大きく影響を受ける。何に連動するかによって内外の動きや表裏の関係にも影響される。
 為替や原油価格の変動が好例である。又、地価の動静や物価の動きも順逆の動きに影響を及ぼす。これらの動きが経営にどの様な働きを及ぼすかを見極めることが経営者には要求されている。

 順逆には、働きを加速したり、増幅、或いは強化、逆に、原則、抑止、抑制、弱体化させる働きがある。正常に機能した場合、外的環境の変動を緩和したり、急激な変化の緩衝材の役割を果たす。レパレッジ効果やリスクヘッジは、経営の仕組みにこの様な働きを意図的に組み込んでおくことである。しかし、裏目に出ると危機を増幅してしまい。状況によっては、経営を破綻させてしまう事もある。
 経営にどの様な働きがどの様な方向に働いているかをよく見極める必要がある。

 お金の流れる方向を見極めるのが重要なのである。その為には、水が高いところから低いところに流れる、則ち、物理的位置が水の流れの方向を決定する様に、何がお金の流れる方向を決めるのかを知る事である。
 例えば、建物や施設を購入する際、資金を調達して運用する方向に資金は流れ、その後は、返済するという運用側から調達する側に環流する。
 収益は、一旦費用の側、則ち、運用する側に流れて支払側へと環流、則ち、調達側へと環流する。
 資金の流れは、虚実、陰陽を以て見極める。

 最後に自他の関係に還元し、是非を判断する。その上で対策、処方を立てる。そして、表裏、虚実、長短、高下、順逆といった個々の要素、要因を、陰陽を以て判別をし、爻を立て分析の目的に応じて天地人の卦を組み立て吉凶を占う。

 例えば、市場を天と為し、企業を地と為し、経営者を人と為す。

 経営というのは、単年度の均衡と長期均衡の調和を測る事に要諦がある。そして、均衡は資金収支と損益の調和から求められる。金融機関は、単年度損益に拘泥するのではなく。長期的展望に立ち、その時点その時点の経済情勢や経営段階を見極めた上で資金の供給の是非を判断すべきなのである。元々、金融機関の役割は資金が不足しているところに、余剰の資金を持っているところから融通することにあるのである。

 又、企業経営の基本的な役割、機能は、雇用の創出、所得の分配、財の生産と、供給である。利益の追求は、企業経営の健全さを保つための指標である。角を撓めて牛を殺すが如き行為は、謹まなければならない。

 競争を原理だとして不必要に競争を煽るのは、邪道である。経営の本義は、その役割にある。競争は手段に過ぎない。





                       



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